いよいよNHK大河ドラマ『江』が面白くなってきた。徳川と豊臣の最終決戦を登場人物のキャラをうまく立たせてドラマチックに描き出そうとしている。家康による豊臣いじめで淀殿がますますいきり立ってきた。片桐且元は随分と苦悩していた。そんな人間模様を象徴するのが方広寺鐘銘事件である。
京都市東山区正面通大和大路東入茶屋町に「方広寺の梵鐘」がある。国指定重要文化財である。
「国家安康」が家と康を分断している、「君臣豊楽」が豊臣家は君主として繁栄する、これらは徳川家に対する呪詛に他ならない。この部分が有名なため、親切にも鐘銘に印がつけられている。もう少し詳しい情報を『千姫ものがたり』(水海道まちづくりネットワーク)で読んでみよう。
方広寺の梵鐘は重要文化財で、高さ4.2m、口径2.8m、厚さ27cm、重量82.7トンの大鐘である。東大寺と知恩院の鐘と並び日本三大名鐘の一つといわれる。禅僧・文英清韓(ぶんえいせいかん)がそうした鐘銘は、『欽惟報国神君昔年(つつしみおもんみればほうこくしんくんそのかみ)……』を書き出しに、約一千字を数える。この写しが普請奉行片桐且元から徳川家康に渡された。家康から解読を命じられた金地院崇伝ら五山の僧は「『国家安康』と『君臣豊楽』のほか、『前征夷大将軍従一位右僕射朝臣家康』の『右僕射朝臣家康』は、家康を射ようとする意であり、いずれもお命を狙い御諱を犯すなど、豊家の反意は明白である」との解釈を家康に伝えた。
右僕射(うぼくや)とは右大臣の唐名である。朝臣の前に「源」の姓を入れるのが正しい表記だろう。「射ようとする」なんぞ、まったく何を言い出すかわからない。
今日は姫路文学館の『江の娘 千姫』展を観覧してきた。やはり鐘銘事件が紹介されていた。訳の分からぬ言い掛かりと迫り来る戦雲、千姫の心中いかばかりか。ドラマの中の千姫は泣いていた。
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