「ねんね根来のよう鳴る鐘は 一里聞こえて二里響く」
俚謡に唄われたように、お寺の鐘の音は心に染み入り何がしかの感慨を呼び起こす。それは懐かしい思い出であったり、ゆく年くる年であったり、柿だったりするだろう。全国にある梵鐘の中でも特段の優品を「天下三名鐘」と呼んでいる。
宇治市宇治蓮華に「平等院の梵鐘」がある。国宝である。ただし写真は複製品で原品は隣の平等院ミュージアム鳳翔館に保管されている。
飛天や獅子、唐草が陽刻された優美な鐘である。写真の飛天は蓮華を捧げている。天喜元年(1053)の鳳凰堂の完成と同時期に制作されたとされており、そうに違いないが、『宇治市史6西部の生活と環境』に興味深い言い伝えがあるので紹介しよう。
音は三井寺、書は高雄(神護寺)、鐘のすがたは平等院と言われて、日本三名鐘の一つとして知られる平等院の梵鐘は、橘諸兄の造立した井手の圓提寺から移されたものであるということが、古くから言われている。これについては第一巻五九〇ページにおいて否定されているが、別に宇治川上流の竜宮から引上げられたという伝説もあって、本来平等院のために鋳造されたものではないという。竜宮が瀬田唐橋の下にあるという話は、俵藤太秀郷の蜈蚣(むかで)退治の伝説によっても知られている。しかし、宇治川左岸の金井戸山は、この鐘が鋳造されたところで、鐘鋳所山が転訛した山名であるとも伝えられている。
美しいが故に様々な噂が立つのであろう。さすがに「姿の平等院」である。三井寺の鐘は近江八景「三井晩鐘」として知られ「声の園城寺」とも呼ばれる。神護寺の鐘は「三絶の鐘」といい銘文序を橘広相、菅原是善の選、藤原敏行の書という当代一流の名家の手になるもので「銘の神護寺」とも呼ばれる。
鐘は響いてなんぼと思っていたが、平等院の鐘の姿を見て考えを改めた。この流麗さは藤原頼通が願った極楽浄土そのものなのであった。
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