なまじ鎖国があったために日本の国際化はペリー以来と思われているが、そうではない。古代日本こそ国際化社会、アジアは一つであった。中国、朝鮮半島から来日した外国人技術者とその子孫の指導によりイノベーションが進展した。彼等の国を日本人は「から」と呼んだ。漢字では唐であり韓である。それを「辛」と表記することもある。
奈良市雑司町の東大寺境内に「辛国(からくに)神社」がある。
外国の名を冠した神社…朝鮮神宮とは似てもいないが、何か謂われがありそうだ。平岡定海『東大寺辞典』(東京堂出版)で調べてみよう。
韓国社ともいい鐘楼の西に鎮守として祀られている。辛国の名は奈良時代より氏族名に見えて韓国より渡来したという意味で、東大寺写経所の経師になった辛国東人(天平三<七三一>)、辛国連形見、人成、毛人があり、画師として辛国連広山、楽人として辛国物主、道士として辛国連行がある。そのほか、辛鍛治広浜等の経師もあるが、辛国氏は鍛治の技術もそなえ大仏鋳造のときの技術者の辛国氏の祖神を祀って、あたかも大仏鋳造の銅湯を作成し流したという。この鐘楼の丘の大仏を見通せるところに祀ってある。
大仏建立で最も重要な鋳造技術の指導者であった。高層ビルを見慣れているから大きいものには吃驚しないつもりだったが、大仏を前にして素直に驚いた。渡来人のみなさん、ありがとう。
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