「十五夜お月さん」と言われたら「見ては~ねる」という「うさぎ」のわらべ歌が思い浮かぶ。文部省唱歌である。それとは別に野口雨情が作詞した「十五夜お月さん」という歌もあるのを知ったのは、この記念碑のおかげである。
目黒区下目黒3丁目の目黒不動尊・瀧泉寺に「本居長世の碑」がある。目黒不動尊は成田不動尊(成田市)、木原不動尊(熊本市)、中野不動尊(福島市)と並んで日本三大不動尊と呼ばれている。
本居(もとおり)という名字で、そうかなと思ったらやはりそうだった。本居宣長から6代目の子孫である。宣長(のりなが)-大平(おおひら)-内遠(うちとお)-豊穎(とよかい)-並子-長世(ながよ)と続く。大平は養子であるが本居家の家督を継いだ国学者であり和歌山藩に仕えた。内遠も同じく国学者であり、豊穎も東宮侍講を務めた国学者であった。
そんな国学者の家系が作曲家を輩出したことが一層興味深い。どのような作曲家なのか。傍にある説明板(本居長世を慕う会と童謡の里めぐろ保存会が作成)を読んでみよう。
童謡は第一流の詩人が子供のために詩を書き第一流の音楽家が曲を付けた世界に誇る日本の児童文化財です。本居長世は音楽学校で中山晋平、弘田龍太郎を教えるかたわら「七つの子」「青い目の人形」「赤い靴」「めえめえ小山羊」「お山の大将」のような作品を自身作曲して世に送りました。ことに大正九年、野口雨情の詩に作曲した「十五夜お月さん」はいかにも日本的な旋律に変奏曲的な伴奏を配したもので、この種の先駆的作品として重んじられました。本居はこれらの曲を作ったころ、この目黒不動のすぐ隣に住んでおり、月の夜この寺の境内を散歩しながら想を練ったことでしょう。
今ここに氏の曲の碑を建てて、氏の功績を記念したいと思います。
「七つの子」「赤い靴」のほうがよく知っている。「七つの子」はカラスの勝手でしょ~などと替歌になったが、メロディが口ずさみやすいことの証左であろう。日本の心を明らかにした国学者の子孫は、やはり日本人の心をつかんでいるのだ。
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