楠木正行の像があり三好長慶の城があったという飯盛山に登ろうとしてあきらめた。それまでに十分歩いていて体力の限界を感じたことと、陽射しがますます傾いて時間の限界を感じたことによる。それでも登山口で珍しい石塔に出会った。
大東市野崎二丁目に「石造九重層塔」がある。市指定文化財である。
傷みが目立ち古そうなことが分かるが、どのような来歴を持つのだろうか。平成18年3月に大東市教育委員会が設置した説明板を読んでみよう。
造立銘は永仁(エイニン)二年(一二九四)とあり、七十四字の金石文を基礎に刻する北河内最古の層塔である。風化のため全文は読みとれないが、沙弥入蓮(シャミニュウレン)と秦(ハタ)氏が、主君と両親の追善供養のために造立した旨が刻まれ、初層軸部の四側面には、梵字で金剛界四方仏がそれぞれ刻まれている。在俗信者入蓮がいかなる人物であったかは不明であるが、秦氏は、古代河内一円に勢カのあった大陸系渡来人の子孫と考えられ、造立当時、当地方の有力者であったと思われる。
高さ三メートル三〇センチ、花崗岩製で、全体の造りや梵字の刻まれ方から、鎌倉時代の特徴をよく示している資料である。
なお、当石塔はもともと相輪を欠く九層であったが、昭和九年の室戸台風で倒壊の際、最上層の屋根石を失い、八層で組み直されたという。その後、昭和五十九年に、地元の中学生ニ人により屋根石が発見され、傍らに置いてあったものを、平成十七年に方角を正して組み直し、再び九層に復元したものである。
写真の赤枠の部分に「永仁二年」の銘がある。説明板からは「北河内最古の層塔」「大陸系渡来人ゆかり」「室戸台風で倒壊」「中学生による屋根石の発見」など、特徴がいくつも読み取れる。日本史の大きな流れに登場はしないが、700年以上存在したこと自体に価値がある。酸いも甘いも噛み分けてきた名塔である。
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