『信貴山縁起絵巻』は絵巻物の白眉である。特に長者の倉が鉢とともに飛び去るのを大騒ぎで追いかける場面は躍動感あふれる傑作である。もう一つ挙げるとすれば、国宝シリーズとして切手の図案に採用された護法童子、輪宝を転がしながら空中を疾走する有名な場面である。絵画表現にすぐれたこの絵巻について、信貴山でゆかりの場所を探してみた。
奈良県生駒郡平群町信貴山の朝護孫子寺に「空鉢護法堂」がある。
空飛ぶ円盤なら私の子ども時代に木曜スペシャルでよくやっていた。ずいぶんと恐ろしげに感じたものだが、空飛ぶ鉢は似て非なる霊験あらたかなアイテムである。鉢の発射基地がこの場所だったわけではなかろうが、空を飛ぶとはこういうことかと思わせるような眺めの良さである。
鉢を飛ばしたのは命蓮(みょうれん)上人である。上の写真が「命蓮塚」、上人のお墓で、平群町指定文化財となっている。
醍醐天皇が御病気になった時、命蓮上人を召し出して祈祷させようとしたが、上人は動こうとしない。代わりに上人が遣わしたのが護法童子だったのだ。病気の平癒した天皇は「朝廟安穏・守護国土・子孫長久」の願いを込めて「朝護孫子寺」の勅号を与えた。
命蓮塚の隣にもう一つの塚がある。これは『信貴山縁起絵巻』に尼公として登場する命蓮上人の姉の塚だという。ずいぶんと離ればなれになっていた姉と弟の再会を、朝護孫子寺が発行している『信貴山』という解説書で読んでみよう。
人の気配もするので、尼公はそこに行って「命蓮さんはいますか」と問うた。
呼ばれた命蓮が「誰ですか」と云って出てみると信濃に住んでいる筈の彼の姉である尼公だった。命蓮はびっくりして「これは、これは、どうしてまた尋ねて来られたのですか、思いもかけませんでした」と云った。
尼公はここに尋ねて来た経過を語ったあとで「そんな姿ではどんなに寒かったことでしょう。これをおまえに着せてやろうと思って、持ってきたのですよ」と云って、ふところからとり出したものをみれば、それは‘たい’(これはまだどんなものであるかよくわかっていない)というものを、ふつうのものよりもふとい糸などをつかって注意深く強げにしたてたものであった。命蓮は喜んでそれをとって着た。
「飛倉之巻」では空飛ぶ鉢という奇想天外の面白さがあり、「延喜加持之巻」では遠隔祈祷で帝を平癒に導くという法験を示し、「尼公之巻」では姉弟の美しい交流を描く。『信貴山縁起絵巻』は絵だけではなく内容も魅力的な傑作中の傑作であった。
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