踏切を車で通るとき列車が来ないかなと楽しみにしている。一旦停止をするのだが、次にアクセルを踏んだとたんにカンカン鳴り始める。もう渡るしかない。しばらくするとゴーゴーと列車の通過音がする。あーあ、と思うものの、人生そういうものだと諦めるしかない。
大阪市平野区「瓜破第四踏切跡」がある。一昨年の9月の写真だから現状がどうなのかは知らない。線路内で遊ぶ危険性を訴える絵を見ると、いかにも大変なことになりそうだ。しかし、もう列車は通過することがない。2009年に廃止となった。
鉄道趣味はないが廃線跡を見ると心がうずく。訪れた時には何コレ?の状態だったが、調べると「阪和貨物線」という名称をはじめ色々なことが分かってきた。いつもは文献をあさるのだが今回はPCを利用する。というのも鉄道の専門家はネットの世界にたくさんいらっしゃるからだ。
この写真は踏切から西方面を撮影している。そもそも阪和貨物線とはどこを結んでいたのか。関西本線の八尾駅から阪和線の杉本町駅に至る貨物線で、両路線を結ぶバイパスの役割を果たしていた。
この地味な貨物線に特急が走っていた時期があった。その名は「あすか」、東和歌山、堺市に停車し、阪和貨物線を通過して関西本線へ入り、奈良、伊賀上野、亀山、四日市に停車して名古屋に到着する。昭和40年から42年までの幻の特急、関西本線の大部分を走破した唯一の特急であった。
そういえば、いすゞ自動車も「アスカ」というセダンを出していた。ほとんどの日本車が外来系の名称なのに対して、日本の誇りを背負った名前を名乗った。「あすか」も「アスカ」も姿を消して久しい。
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