山陽道といえば山陽自動車道のことで、京阪神方面から山陽の主要都市を貫いて九州へと向かう日本の大動脈である。これができる前には国道2号がその役割を果たしていた。さらに遡ると江戸時代にも山陽道はあった。今でも宿場町の名残が残っている場所がある。もっと遡って古代、山陽道は我が国の外交の拠点・筑紫に向かう最重要の道であった。
兵庫県赤穂郡上郡町落地(おろち)に国指定史跡の「山陽道野磨駅家(やまのうまや)跡」がある。
発掘調査によれば、古代山陽道跡と掘立柱建物の初期駅家跡と瓦葺礎石建物の後期駅家跡が明らかにあった。写真におよその位置を記しておいた。道跡の左にある星が初期駅家跡(7世紀後半~8世紀前半)、右は後期駅家跡(8世紀後半~11世紀後半)である。
写真では正面、この道をそのまま進んだなら京に達する。兵庫県道5号姫路上郡線がおよそのルートだと思えばよい。逆方向には難所の船坂峠があり、峠を越えると備前国である。峠を越える前、越えた後に、この駅家で一息ついていたのだろう。
野磨駅家は、あの『枕草子』に次のように登場する。(北村季吟『枕草子春曙抄』岩波文庫版二〇四段による)
うまやは。梨原。ひぐれの駅。望月の駅。野口の駅。山の駅。哀なる事を聞置たりしに、又哀なる事の有しかば、猶取り集めて哀也。
駅家といえば梨原にひぐれの駅家、望月の駅家に野口の駅家。それに山の駅家ね。深イイ話を聞いていたんだけど、また深イイことがあったので、なおいっそう感動したのよね。
この「山の駅(やまのうまや)」が「野磨駅家(やまのうまや)」だというわけである。では、深イイ話とは何か。それが『今昔物語集』巻第14第17話「金峰山僧転乗持法花知前世語」である。『攷証今昔物語集』(冨山房)のテキストに句読点を付加した。
今昔、金峰山ニ僧有ケリ。名ヲバ転乗トゾ云ケル。大和国ノ人也ケリ。心極テ猛クシテ、常ニ嗔恚ヲ発シケリ。幼ノ時ヨリ法花経ヲ受ケ習テ日夜ニ読誦シテ、暗(ソラ)ニ思エ奉ラムト思フ志有テ年来誦スルニ、既ニ六巻ヲバ思エヌ。其レニ、七八ノ二巻ヲバ思エ奉ラムト為ル心無シ。而ルニ、尚七八ノ二巻ヲ思エムト思テ誦シ浮ブルニ、年月ヲ経ト云ヘドモ更ニ思ユル事無シ。転乗然リトモト思テ、強ニ七八ノ巻ノ一々ノ句ヲ二三反ヅツ誦スルニ、更ニ不思エズ。然レバ、転乗蔵王ノ御前ニ参テ、一夏九十日ノ間籠テ、六時ニ閼伽香炉燈ヲ供シテ、毎夜ニ三千反ノ礼拝ヲ奉リテ、此ノ二巻ノ経ヲ思エム事ヲ祈請フ。安居ノ畢ノ比ニ成テ、転乗夢ニ龍ノ冠シタル夜叉形ノ人ノ天衣瓔珞ヲ以テ身ヲ荘(カザリ)テ、手ニ金剛ヲ取リ、足ニ花蘂ヲ踏テ、眷属ニ被囲遶レテ来テ、転乗ニ告テ云ク、汝ヂ縁無ニ依テ此ノ七八ノ二巻ヲ暗ニ不思エズ。汝ヂ前世ニ毒蛇ノ身ヲ受タリキ。其ノ形チ長ク大ニシテ三尋半也。播磨ノ国赤穂ノ郡ノ山駅ニ住シキ。其ノ時ニ、一人ノ聖人有テ其ノ駅ノ中ニ宿ス。毒蛇棟ノ上ニ有テ思ハク、我レ飢渇ニ会テ久ク不食ズ。而ルニ、希ニ此ノ人此ノ駅ニ来テ宿セリ。今此ノ人ヲ我レ可食シト。爰ニ、聖人蛇ニ被食ナムト為ル事ヲ知テ、手ヲ洗ヒ口ヲ濯ギ、法花経ヲ誦ス。毒蛇経ヲ聞テ、忽ニ毒害ノ心ヲ止メテ、目ヲ閉テ一心ニ経ヲ聞ク。第六ノ巻ニ至ル時、夜曙ヌレバ、七八ノ二巻ヲ不誦ズシテ、聖人其ノ所ヲ出デテ去ヌ。其ノ毒蛇ト云フハ今ノ汝ガ身也。害ノ心ヲ止メテ法花ヲ聞シニ依テ、多劫ヲ転ジテ人身ヲ得テ、僧ト成テ法花ノ持者ト有リ。但シ、七八ノ二巻ヲ不聞ザリキ。故ニ今生ニ暗ニ誦スル事ヲ不得ズ。亦、汝ヂ心猛クシテ常ニ嗔恚ヲ発ス事ハ、毒蛇ノ習気也。汝ヂ一心ニ精進シテ法花経ヲ可読誦シ。今生ニハ求メム所ヲ皆得テ、後生ニハ生死ヲ離レムト云フト見テ夢メ覚ヌ。転乗深ク道心ヲ発シテ、弥ヨ法花ヲ誦ス。遂ニ転乗、嘉祥二年ト云フ年、貴クシテ失ニケリトナム語リ伝ヘタルトヤ。
今となっては昔のこと、金峰山に僧侶がいて名を転乗といった。大和の人だ。たいへん気が荒くて常に怒っていた。幼いころから法華経を習い、暗唱しようといつも読んでいたおかげで、6巻までは覚えてしまった。そして、残りの7、8巻を覚えようと繰り返し読むのだが、不思議なことにどうしても覚えられない。そこで転乗が蔵王菩薩に祈ったところ、夢の中に夜叉のような人が現れて、こう言ったのだ。「お前の前世は毒蛇じゃ。その長さは3尋半、播磨国赤穂郡の野磨駅家(やまのうまや)に住んでおった。そこへ一人の聖人がやってきた。飢えていたお前はその聖人を食べようと狙っていた。聖人はそれに気付いて、手を洗い口をすすいで法華経を読んだ。すると、お前は次第に気持ちが和らぎ、やがて一心に聞き入るようになった。ところが、6巻まで読んだところで夜が明けたので、聖人は駅家を出てしまった。お前は法華経の功徳によって、人の身体を得て僧侶になったのだが、7,8巻を聞かなかったので今も暗唱することができないでいる。また、お前が気が荒く怒りっぽいのは毒蛇だったころの習性じゃ。これからお前はひたすらに精進をして法華経を読むがよい。現世では求めるものが得られ、来世では生死の苦しみから離れることができようぞ。」転乗はますます仏道に帰依し法華経を読んだ。そして嘉祥2年に亡くなったと語り伝えられているということだ。
なるほど深イイ話であることよ。この話を知っていた清少納言は、さらにまた駅家に関する深イイ話を聞いて感動しているのだろう。
ただし、北村季吟は「やまのうまや」を伊勢国員弁郡野摩もしくは越後国古志郡夜麻と推定している。しかし、駅家としての著名さを考慮すると山陽道野磨駅家を指すとするのが妥当だろう。この駅家跡が発掘された場所を落地(おろち)遺跡というが、「おろち」は今昔物語集の語る毒蛇に由来している。
険しい峠に隣接するうえに毒蛇が高僧に化身したという、印象に残る駅家だったのだろう。旅人の記憶は山陽道を上って都に達し、清少納言の筆によって現代にまで伝えられたのだ。
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