関東の雄・北条氏、東海の雄・今川氏、備前の雄・宇喜多氏、肥前の雄・龍造寺氏。いずれも一時は覇を唱えながらも勢力を維持できなかった武将たちである。しかし、彼らには先の見えない現代に生きる私たちの心を動かす何かがある。それは敗者だけが知っている悲哀かもしれないし、勝負は時の運という人生の知恵かもしれない。今日は山陰の雄・尼子氏の話である。
安来市大塚町に「姫地蔵(下町地蔵堂)」がある。尼子氏の悲劇を語るなら月山富田城か山中鹿之介でもよいのだが、今回は名もなき姫御前をヒロインとした。
尼子氏といえば思い出すのが平成9年の大河ドラマ『毛利元就』の尼子経久である。名優・緒方拳が演じた経久は迫力と温かみがあってよかったことを覚えている。
その経久が勢力を拡大し、晴久の代に最盛期を迎えるのだが、次代の義久が新興の毛利元就と雌雄を決することとなった。晴久は高嶋政宏、義久は中村獅童がやっていたようだが、思い出せない。
尼子氏の本拠・月山富田城を包囲した毛利元就は城への補給路を順次断っていく。長きにわたる兵糧攻めに城中は動揺し投降者が相次ぐ。義久が讒言に惑わされて忠臣を殺害したことも、士気を大いに低下させることとなった。そして、永禄9年(1566)11月28日、尼子氏はついに毛利元就の軍門に下ることとなったのである。
この時、次のような悲話が起きたのだという。『大塚ふるさとカルタの解説』に紹介されている。
「れ 霊祀る 尼子の姫眠る 姫地蔵」
富田の落城により尼子の家臣の中の婦女子もあちこちに逃げのびたが、その中のある姫ご前も密かに家来数人を連れ、大山寺を目指して逃げたのであるが、この大塚の土手の下で散り果てたと云う。土地の人は小さな石を墓として弔い、後年この地に地蔵堂を建て弔ったという。
平時ならお姫さまとして幸せな暮らしをしていたであろうに。人の運命とは分からぬもの。明日は我が身の上の出来事やもしれぬ。大塚の人々の祈りによって、姫の御霊も鎮まったことであろう。
ここ大塚は、朝の連ドラ「ゲゲゲの女房」の武良布枝さんの出身地である。ドラマでも地蔵堂が少女時代のシーンに登場したそうだ。やはり、平和が一番だとつくづく思う。