1980年にWHOが天然痘の根絶を宣言したことは、新聞のトップ記事だったと記憶している。一つの歴史が終わったんだなと感慨深く思ったものだ。つらつら古きをたづぬるに、本朝では藤原四兄弟、遠く異朝をとぶらへばルイ15世など、天然痘で命を落とした貴人は多い。いはんや庶民においてをや、である。
高砂市曽根町の曽根天満宮の境内に「ほうその神さん」がおわします。
古いものだというのは見た目からもよく分かるのだが、その意義はよく分からない。傍らの石板に刻まれた説明を読んでみよう。
当天満宮に残っている最古の石造物で一三〇〇年代(鎌倉時代末期)に造立されたものと思われる。
江戸時代中頃から難病や流行病の予防治癒を祈願するようになった。殊に疱瘡の神様として広く信仰を集め赤い紙に氏名年令を記し貼りつけたり結えたりして願かけをしていた。
この石造物は風化がかなり進んでいるが造像形式あるいは当時の信仰習俗等から石板に台座の上に立つ仏三体が半陽刻された三尊石仏像であろうと類推される。
三尊仏には釈迦三尊、薬師三尊、阿弥陀三尊などがあるが、何だったのだろうか。造立からしばらくは仏様として信仰されていたはずだ。おそらくは江戸時代に疱瘡神への信仰が盛んになって「ほうその神さん」に昇華したのだろう。風化の進んだ石のくぼみがあばた面のように見えたのかもしれない。
疱瘡神は赤色を嫌うと信じられており、赤い紙に願いを込める習俗があった。日本で天然痘が最後に流行したのは昭和21年のことであり、昭和30年を最後に日本での発症は無くなった。すっかり過去の病となってしまった天然痘である。
しかし、中国で発症している鳥インフルエンザの上陸とか、新たな病気に対する懸念は尽きない。病除け、悪疫退散の神様は、今後も丁重にお祀りしたほうがよい。
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