見たことはないが、愛知県新城市の市政番組「いいじゃん新城」にはマスコットキャラクターがいる。姫だるまのような愛らしい姿をした「亀姫」である。この姫、実は徳川家康の長女で、長篠の戦で功績を上げ新城城主となった奥平信昌の妻である。新婚時代から15年間を新城で過ごしたので、新城市にとっては馴染み深い姫である。
岐阜市加納西広江町2丁目の光国寺に「東照宮長女加納城主奥平信昌室亀姫之墓」がある。
新城城主・奥平信昌は上州・宮崎城を経て慶長六年(1601)に美濃・加納城主となった。加納城については以前にレポートしている。ここ加納において亀姫は生涯を終えた。寛永二年(1625)5月27日のことである。享年66。
加納城跡でいただいたリーフレット(加納景観まちづくり実行委員会発行)には、「勝ち気な家康公の長女」「やんちゃな姫君!?亀姫さま」という見出しで次のように記述している。
亀姫は勝ち気で男勝りの女性として語られます。加納や新城では、やんちゃな女の子やわがままな妻のことを「カメヒメサマ」「新城様」などと呼ぶそうですが、どちらも亀姫様を指しています。戦国を生き抜いた女性で、家康の娘、将軍の姉という立場からすれば、勝ち気やわがままも当然のことかもしれません。『徳川実記』では「御本性雄々しくましました」と記しています。ただし夫の信昌が父の家臣であることから、後世の人がイメージを増幅させた部分もあるのではないかと思います。
さすがは加納藩奥平氏3代を妻として、母として、祖母として支えた女性である。右の燈籠を奉納したのは「松平下総守忠啓」との刻字で知ることができる。松平忠啓(ただひら)とは伊勢桑名藩の第3代藩主で天明の大飢饉の時代の大名である。5代前の松平忠明は奥平信昌と亀姫の間の子で家康の養子となり松平姓を名乗った。
御先祖のやんちゃ姫にあやかって桑名藩領内をしっかりと治めようとした松平忠啓であったが、飢饉を初め火災、洪水、百姓一揆などトラブル続きで大変だったようだ。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。