我が国の超古代史ファンの間でけっこう知られているのが、ニギハヤヒノミコトがUFOに乗って舞い降りてきたという話だ。古代宇宙人来訪説である。ンなアホなと一笑に付さずに、『先代旧事本紀』巻第五「天孫本紀」(経済雑誌社、国史大系巻7、明31)の一節を読んでみよう。
天祖(あまつみおや)天璽瑞宝十種(あまつしるしみづたからとくさ)を饒速日尊(にぎはやひのみこと)に授けたまふ。則ち此の尊(みこと)天神御祖(みおや)の詔(みことのり)を稟(う)けて、天磐船(あまのいはふね)に乗て、河内国の河上哮峯(かはかみのいかるがのたけ)に天降(あまくだ)り坐(ましま)す。則ち大倭国(やまとのくに)鳥見白庭山(とみのしらにはのやま)に遷(うつ)り坐(ましま)す。天降りたまふ儀(よそほひ)天(あま)つ神の紀(ふみ)に明(あきらか)なり。所謂(いわゆる)天磐船(あまのいわふね)に乗て、大虚空(おほそら)を翔行(かけ)りまし、是の郷を巡睨(めぐりみ)て天降(あまくだ)りたまふ。虚空見(そらみ)つ日本国(やまとのくに)と謂(い)ふは是か。
確かに「天磐船(あまのいわふね)」は空飛ぶ乗り物に違いない。その形や飛び方は未だ確認できていない。つまり未確認飛行物体、UFOである。
高砂市曽根町の教育センター歴史民俗資料室の屋外に「家形石棺蓋石(天磐舟あまのいわぶね)」が保存されている。兵庫県指定文化財である。
これが古代に飛来したUFOであったか。いや、天磐船は河内国に着陸し大和国に移動したのだから、播磨国の高砂にはないはずだ。では、この磐船は何だろうか。兵庫県教育委員会が設置した説明板を読んでみよう。
生石(おおしこ)神社の社記に「この山頂に石(いわ)あり、土中に入る。その形舟の如し、故に磐舟(いわぶね)と名づける。むかし大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ) 乗り来たり給う」云々とあるのがこれであるという。もとは、伊保山の南面に背部を下向けにし、半ば埋もれていたらしいが、環境が変わり、落下寸前の状態となったため、現在地に移設したもので、5世紀末から6世紀初頭ごろの家型石棺の蓋石である。
播磨地方に多く遺存する石棺中でも、大きさにおいても形態においても屈指の遺品である。
磐舟に乗りやって来たのはニギハヤヒではなく、オオナムチとスクナヒコナの二神であった。実際のところは家形石棺の蓋石なのだが、縄掛突起が何やらUFOの雰囲気を醸し出している。
かつてTV番組「木曜スペシャル」でUFO特集を見ていたから、石棺の石蓋であってもUFOに見立てるのだ。木スペを見たことがない古代人は、どこから空を駆ける磐船(いわふね)という発想をしたのだろうか。もしやモデルがあったのでは、と思うところがオカルトへの入口なのだ。
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