大阪府が主催する国際文化賞に「山片蟠桃賞」がある。第24回の受賞者はピーター・コーニッキー氏というケンブリッジ大学の教授である。江戸時代の書籍文化に詳しい方のようだ。日本人でさえ知らないことが多いのに、誠に立派な英国人であることよ、と敬服する。今月24日に授賞式がある。
過去の著名な受賞者には、第1回のドナルド・キーン氏、第10回のエドワード・サイデンスティッカー氏がいる。どちらも日本文学に詳しい方だ。それでは、賞の名称とされた山片蟠桃とはどのような人物なのか。
高砂市神爪五丁目のかんな公園に「山片蟠桃(やまがたばんとう)の像」がある。
子どもたちの遊ぶ公園に江戸時代の商人という組合せが天下泰平の世を象徴している。この蟠桃さん、大坂の豪商升屋の番頭として大成功したので、大阪府が賞の名前に冠して顕彰している。ここ高砂に像があるのは、生まれ故郷だからである。像の台座の解説を読んでみよう。
山片蟠桃は寛延元年(一七四八)高砂市神爪の百姓長谷川小兵衛の三人兄弟の次男として生まれ幼名を惣五郎又は有躬といった。生家は唯の百姓ではなく兄安兵衛は「糸屋」の屋号を持って播州木綿の取引を営んでいた。
一三才のとき伯父の引により大坂に出「升屋」に出仕する商人となった。当時七才の当主を擁してどん底に頽退していた升屋に若冠二□才で番頭となり主家の再建にとりかかった。苦闘が続いたが蟠桃の才智と何事にも刻苦・精励する熱心さにより遂に頽勢を挽回し大坂の豪商升屋の全盛時代を築き上げた。
かたや中井竹山・履軒を師とする懐徳堂に学び自由闊達な学風のなかで和漢洋の学問を修め合理的に総べてを割り切る面を持っていた。我国における近代合理主義の先駆といわれ時代の先覚者として高く評価されている。町人学者蟠桃の遺書十二巻に及ぶ「夢の代」はそれを最も明快に示した大書である。
地獄なし極楽もなし我もなし
ただ有るものは人と万物
神佛化物もなし
世の中に奇妙ふしぎのことは猶なし
□は文字が欠けている。若冠を弱冠だとすれば「二〇才」ということになろうが、24歳とのことだ。彼が名乗った山片姓は升屋のものである。この近代合理主義の先駆者にちなんで、高砂市には「ばんとう通り」がある。
上の写真の石碑の向こうに「生石神社一の鳥居」がある。ここから神社まではかなりの距離がある。注目すべきは鳥居の手前にある石燈籠だ。
燈籠の手前の石には「山片蟠桃結婚記念に寄進した燈籠」との銘板がある。燈籠の竿石には「願主有躬大阪堂島」とある。有躬(ありみ)は蟠桃の本名である。石は修復で復元されたものだが、「大坂」ではなく「大阪」なのは商人だからこその験担ぎだろうか。
同じく神爪五丁目の覚正寺に「村人が建立した山片蟠桃顕彰墓」がある。本墓は大阪市北区与力町の善導寺にある。生まれ故郷の神爪にある顕彰墓については、『高砂市史第二巻通史編近世』に次のように紹介されている。
神爪村の共同墓地にもいつ建てられたかはっきりしないが、「釈宗文墓」(正面)、「文政四年巳二月二十八日」(右側面)、「長谷川安兵衛弟、俗名山片小右衛門」(左側面)、「施主当村中謹建之」(裏面)と刻された碑が建てられた。「当村中謹んでこれを建つ」の一言は神爪人でもあった蟠桃の霊を慰むるに最もふさわしい一言であった。この碑は現在菩提寺覚正寺の境内に移されている。また神爪の人々は最近地区内の公園に蟠桃像を建立したり、蟠桃賞を制定したりして、神爪の生んだ偉人として蟠桃の顕彰を続けている。
そう、蟠桃賞は大阪府だけではない。神爪の人々は全国レベルで活躍した地元小中高生に「ふるさと蟠桃賞」を贈っているのだという。生まれ故郷から天下の台所、そして世界レベルで顕彰される山片蟠桃である。
帰途に就こうとして満開の桜に出合い、足を止めた。蟠桃先生は「地獄なし極楽もなし我もなし」とおっしゃいましたが、桜花に包まれていると極楽とそれを感じる私だけは、確かにそこにあるような気がする。
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