10月4日付で「おんせん県おおいた」の商標登録が認められたそうだ。昨年「おんせん県」で申請すると群馬県の反発もあって認められなかった。今回は「おおいた」という地名を含めて場所が分かるようにしたし、もちろん大分県も他県の温泉PRを尊重する姿勢だ。
西の別府に東の草津。他に有馬や熱海も有名で「温泉といえばここでしょ」は人それぞれである。今回は本家争いにはならなかったが、大はカトリックとプロテスタント、小はパイロットのフリクションか三菱のファントムか、本家争いは古今東西どこにでもある。
奈良市東九条町の八幡神社は「元石清水八幡宮」と名乗る。
石清水八幡宮といえば、三大八幡にも数えられる有名な神社で、八幡市の男山に鎮座している。貞観元年(859)に南都大安寺の行教和尚が宇佐八幡宮に参籠し御託宣を蒙ったことにより、男山に八幡伸が勧請された。
これに対し、奈良の元石清水八幡宮は「元」だけに、さらに歴史が古いという。神社に掲げられている由緒概要を読んでみよう。昭和16年に制作されたもので墨が薄くなっていることに加え、変体仮名を多数使用しているため正確に筆写できているのか不安はある。
当社は人皇第五十一代平城天皇大同二年丁亥年南都七大寺の一大安寺の僧行教和尚入唐し帰朝の際豊前の国宇佐の宮に参籠し神託により供奉し同年八月十七日同寺本坊に鎮座同寺の鎮守とせしも其後清和天皇の御宇貞観元己卯年八月八日再和尚宣託を受け山城国山崎陵男山の新殿に奉遷座今の官幣大社男山八幡宮是なり当社は俗に大安寺石清水八幡宮又子安八幡宮とも謂ふ
これによると、行教和尚が宇佐から八幡伸を勧請したのは、大同二年(807)ということになる。そしてその神を男山に遷座したのが貞観元年(859)である。つまり、この八幡神社は、石清水八幡宮の元宮という位置付けになる。
さらに、この地には「石清水」もある。奈良市大安寺一丁目の御霊神社である。
上の写真が石清水の井戸で、男山の石清水井に通じているという。説明板を読んでみよう。
本神社は元石清水八幡宮と称す。(八幡神社)
大同二年八月十七日、大安寺の僧、行教和尚が、大安寺の鎮守社として築紫(大分)宇佐八幡宮より大菩薩を勧請(かんじょう)せしとき、お供えする御手水閼伽井(あかい)の水(石清水と号す)を求めて此処に、行教和尚の託宣により獨鈷(どっこ)を用いて掘らしめたところ、清湛(せいたん)な法水湧き出る。
而して遥かに男山八幡石清水に通じて、この水の保護を受けんがため、御井戸の守神として、高龗命(たかおおかみのみこと)、善女龍王命(ぜんみょうりゅうおうみこと)二柱の神を祀られた。
現在農耕神、商い神、御霊神社と崇め奉る宮なり。
其井戸は往時の原形は留めないが今も存在せり。
「石清水」という呼称は、行教和尚手掘りのこの井戸に由来するものだったのか。やはり、大安寺の鎮守社を男山に遷座したのが現在の石清水八幡宮だということか。
確かなのは、大安寺の僧である行教和尚が石清水八幡宮を勧請したことである。逆に、男山に石清水八幡宮を祀った行教和尚が大安寺の僧だったので、大安寺に八幡神が勧請され「元宮」に位置付けられた、という発想もできる。ちょっとした本家争いかもしれない。
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