旅をしていると「最明(さいみょう)寺」という寺院に出会うことがある。多くの場合、鎌倉幕府第5代執権の北条時頼が登場する伝説を伴っている。先日も岡山市にある最明院を紹介した。時頼が出家して最明寺殿と呼ばれたことに関係している。
姫路市野里大日町に大日山最明寺がある。こじんまりとしたお寺であるが、かつて八丁四方の境内に塔頭(たっちゅう)諸坊があったという。
寺紋の二引両は足利氏とのゆかりを感じさせる。北条氏ならば三つ鱗がふさわしい。事実、川崎市中原区小杉御殿町一丁目の西明寺の寺紋は三つ鱗である。増位中学校区夢プラン実行委員会が設置した説明板を読んでみよう。
法道仙人の開基伝承をもつ。高野山真言宗。鎌倉幕府執権北条時頼が再建したといい寺名は時頼出家後の号「最明寺入道覚了房道崇」にちなむという。室町時代の作とされる謡曲「鉢の木」で著名な佐野源左衛門の地という。佐野源左衛門尉常民は上野佐野庄(群馬県高崎市)ゆかりの鎌倉御家人とされる。
法道仙人ゆかりの寺院は播磨地方に多い。佐野源左衛門の名は常民ではなく常世(つねよ)であろう。佐野常民(つねたみ)は日本赤十字社の創始者として知られている。それにしても、説明板の言う「佐野源左衛門の地」とは何を意味しているのか。この地の地頭に補せられたというのか。よく分からない。
ただ、次の事実は注目に値する。執権北条時宗は建治2年(1276)に播磨守護を兼ねている。それは、文永11年(1274)の元寇により、防御体制を構築するために山陽道の要所を固める措置であった。
時頼や時宗など北条氏の嫡流を得宗というが、得宗領に時頼廻国伝説が広まっていることが確認されている。播磨の最明寺も得宗領との関連が濃厚ということか。とすれば、この寺は鎌倉時代後期の得宗専制という有事体制を伝える史跡と位置付けることができるだろう。
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