子どもの頃、お名前博士・佐久間英先生の本を読んで、「小鳥遊」で「たかなし」と読むとか、「四月一日」で「わたぬき」と読むという珍しい姓があることを知った。本日紹介する「栗花落」も難読かつ由緒ある姓である。
神戸市北区山田町原野に「栗花落(つゆ)の井」がある。
漢字3文字でふりがな2文字とは驚きだ。何かいわれがあるに違いない。神戸市北区役所・山田民俗文化保存会作成の説明板を読んでみよう。
丹生山田の住人、矢田部郡司(やたべこおりのつかさ)の山田左衛門尉真勝(さえもんのじょうさねかつ)は、淳仁(じゅんにん)天皇に仕えていたが、左大臣藤原豊成の次女白瀧姫を見初め、やみ難い恋慕の情に苦しんだ。真勝の素朴で真面目な人柄に感心された天皇は自ら仲立をして夫婦にされたので、真勝は喜んで姫を山田へ連れ帰ったという。才色優れた白瀧姫と真勝との幸福な生活は、結婚三年にして男の子一人を残して姫は亡くなってしまった。真勝はその邸内に弁財天の社を建て姫を祀った。毎年五月、栗の花の落ちる頃、社の前の池に清水が湧き出て、旱天(ひでり)でも水の絶えることがなかったという。それより姓を「栗花落(つゆ)」と改め、池を「栗花落(つゆ)の井」と名付けたという。
真勝から白瀧姫へ送った恋歌
『水無月の 稲葉の末もこかるるに 山田に落ちよ白瀧の水』
白瀧姫から真勝への返歌
『雲たにも かからぬ峰の白瀧を さのみな恋ひそ 山田をの子よ』
なるほど美しい愛の物語だ。栗の花は6月ごろ咲いて落ちる。独特の匂いもあって決して美しいとは言えない。旧暦では五月であり、梅雨入りもこの時期だ。「栗の花が落ちる」のは「つゆ」というわけだ。
藤原豊成は藤原南家の出である。弟の仲麻呂は天平宝字の乱で亡ぶまでは最高権力を掌握していた。一方、豊成は人間的に優れていたのか世渡り上手なのか、乱後も政界で重きをなした。最高位は正確には右大臣である。
豊成の娘に当麻寺に伝わる伝説で有名な中将姫がいる(ことになっている)。白滝姫はその妹だという。姉は伝説の世界では著名人だが、妹は知られていない。お姉さんにあやかって妹ということにしたのかもしれない。
また、夫の山田左衛門尉真勝とは武士のような名乗りだが、武士らしい武士の登場はもう少し後の時代だ。建物後ろの宝篋印塔(下写真)は室町後期のものだそうだ。いずれにしろ伝説の成立は中世のことだろう。もっとも伝説に史実との整合性を求めようとすることに無理があるので、とやかく言うまい。
この伝説は『日本の伝説43兵庫の伝説』(角川書店)に採録されているのだが、調べてみると面白いことが分かった。
『同27上州の伝説』によると、桐生市川内町5丁目の「白滝神社」にも同様な伝説が伝わっている。山田男とともに上州にやってきた白滝姫は里人に織物を教え、これが桐生織の発祥とされている。このあたりは昔、上野国山田郡と呼ばれていた。山田という土地に白滝姫がやってくるパターンは神戸と同じで、歌のやり取りは次の通りだ。
山田奴 「水無月のいなばの露もこがるるるに 雲井を落ちぬ白滝の糸」
白滝の前 「雲井よりついには落つる白滝を さのみな恋ひそ山田男子(おのこ)よ」
また、『同24富山の伝説』によると、富山市山田鎌倉の「鏡宮旧跡」にも同様な伝説が伝わっている。白滝姫が山田に持参した鏡を祀っていた跡だということだ。やはり、歌のやり取りもしている。こちらは姫が先に詠んでいる。
白滝姫 「霞さえかかりかねたる白滝に 心かけるな山田男よ」
山田男 「照り照りて草の下葉の枯るるとき 山田に落ちよ白滝の水」
これは「山田白滝」という伝説の一つのパターンということだ。貴種への憧憬が背景にあるのだろうか。誰がどのようにして話を広めたのだろうか。気になるところだ。
そういえば、やなせたかしさんのアンパンパンの仲間に「しらたき姫」がいる。すきやき城のお姫さまで武器は菜箸である。ウェーブのかかった髪がきれいなお姉さんだ。確かに、すき焼きにしらたきは欠かせない。実にうまい。
それにしても気になるのが、なぜ「しらたき」を姫にしたのか。しらたきマンでも、しらたきくんでもよさそうだが。そういえば、高知県香美市にあるアンパンマンミュージアムの最寄駅は土佐山田駅である。もしかして土佐の山田にも白滝姫の伝説が伝わっていたのだろうか。
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