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今年の相馬野馬追は7月26日から28日にかけて行われた。メインの甲冑競馬と神旗争奪戦には震災前の規模に迫る450騎が参加したそうだ。復興を象徴するようなニュースである。この千年の伝統を誇る相馬野馬追の起源については以前に述べたことがある。それは公式見解ではなく異説の紹介であったが、今日もまた異説である。
取手市寺田に「相馬惣代(そうだい)八幡宮」がある。
関東らしい比較的平坦な地に鎮座する神社である。境内が広く市指定の保存緑地になっている。保存樹木のスダジイは18.5mもある。そして、注目したいのは、平将門とのゆかりである。さまざまな書籍が紹介しているので列挙してみよう。
『平将門伝説ハンドブック』(村上春樹、公孫樹舎)
平将門が守護神として、厚く崇敬し、後には、相馬氏累代の氏神となったという。
『将門伝説』(梶原正昭・矢代和夫、新読書社)
将門の守護神として崇敬あつく、その歿後は相馬氏累代の氏神として礼拝さる。(広瀬渉『平将門論』・『北相馬郡志』)
『関東中心平将門故蹟写真資料集』(日本教育文化協会)
将門の守護神を祀った社と伝え、一説には、将門誕生の地といわれている。大同二年(八〇七)、京都石清水八幡宮を分祀したとも、また、後世相馬氏が野馬追い行事に魂を入れるため創建したとも言われる。
『新編将門地誌』(赤木宗徳、筑波書林)
寺田の小山という小字に、武の神、八幡宮があり、その付近一帯は平坦な台地で、当時は一面の原っぱであったとみられる。
福島県の相馬中村に残る野馬追いは、ここで行われたものに相違ない。野馬追いの行事は、将門が松戸の小金ヶ原で行っていたといわれるが、小金ヶ原でやったのは国府台にあった軍団の兵士たちであったろう。八幡宮付近での野馬追い行事は、後年、相馬家が守谷に居城を構えるまで残り、このとき相馬家の当主が、この行事に魂を入れるつもりで、この八幡宮をつくったものと考えられる。
相馬氏の居城、守谷城については以前にレポートしている。平将門ゆかりとされてきたが、それほど古い城ではない。守谷城における相馬氏が史料に現れるのは16世紀の大永年間になってのことだ。それまでの野馬追は、この相馬惣代八幡宮付近で行われていたというのか。
平将門と相馬氏が並んで伝説に登場するのは、相馬氏が将門の子孫を称したことによる。おそらくは相馬氏が武名を高めるための喧伝であろう。「将門誕生の地」は各地にあるが、ここもその一つである。
『新編将門地誌』でこの八幡宮を相馬野馬追発祥の地と推測した赤木宗徳は、農林大臣を三回も務めた自民党の大物政治家である。彼の孫も第1次安倍内閣で農林水産大臣を務めたが、第2次安倍内閣で本日あった閣僚辞任劇と同様に辞めざるを得なかった。
相馬八幡宮は野馬追行事に魂を入れるために創建されたともいう。安倍内閣は経済再生、地方再生、教育再生と「再生」が使命のようだが、まずは閣内に魂を入れ内閣再生を優先すべきだろう。
ご覧いただきまして誠にありがとうございます。
おっしゃるとおりかもしれませんね。ご先祖を誇りに思っていらっしゃることでしょう。
よい年をお迎えください。
投稿情報: 玉山 | 2022/12/31 06:41
高校の同級生で守谷に相馬姓の人がいます。もしかして相馬氏の子孫かもしれません。
投稿情報: まーくん | 2022/12/30 21:50