「口裂け女が駅まで来ているらしい」
そう聞いたのは、部活帰りの薄暗くなってからだ。
「マジかよ」
マジという言葉は当時なかったが、とにかく恐怖にかられて、思い切り自転車をこいだ。中学2年の1学期のことである。
報道によると、岐阜市の柳ケ瀬商店街で今月19日、「口裂け女」のお化け屋敷「恐怖の細道~夕暮れの帰り道~」がオープンしたそうだ。遭いたくなかった口裂け女に逢うことができるという。今年で三回目となる季節イベントだ。「口裂け女」は岐阜市が発祥という。
稲川淳二の「怪談ナイト」とか、白石加代子の「百物語」とか、怖い話がみんな大好きだ。今年もこの時季になったな。怪談は夏の風物詩である。
本来、幽霊とか怨念とか、そんなスピリチュアルなものは季節を問わないはずだ。にもかかわらず、怪談は年中行事に位置付けられている。この調子なら、やがては日本の伝統文化にまで昇華していくことだろう。
台風が去って、また暑くなってきた。暑気払いということで、本日は涼風一過、怪談でお楽しみいただこう。
倉敷市阿知二丁目に「おいま井戸」がある。
本日の出典は日本の伝説29『岡山の伝説』(角川書店)である。上と同じ井戸の写真が掲載されており、「おいまの井戸のあったあたり」というキャプションがついている。過去にあったのか、この井戸がそうなのか判然としないが、次のような物語である。
さつまいもがまだ貴重品だったころのことだ。その辺りに大島という大金持ちがいた。欲深なその家である日、たいせつにしているさつまいもが一個なくなった。盗みの容疑が下女のおいまにかけられ、おいまは激しい折檻(せっかん)を受けた。身に覚えのないおいまは無実を訴えたが、主人はきく耳を持たず、ついにはおいまの父親をも呼び出して、この償いをどうするかと責め立てた。貧しい父娘にさつまいもが手に入る時代ではない。父親は娘に盗みの疑いがかけられたことを恥じ、娘をその手で殺して首を主人にもたせ、みずからも腹を切って死んだ。ところがその紛失していたさつまいもは、親類のものが持ち帰っていたことがのちにわかった。
主人はおいまを懇ろに葬ったが、しかし家の裏にある井戸からは毎晩のように幽霊が現われ、主人の枕元に立った。主人は恐怖のあまり発狂して死に、家族も疲れて、やがてその家は絶えてしまったという。
また、倉敷史談会『倉子城』第三号所収の三宅敏夫「おいま井戸」には、次のように記されている。
この辺りの古老の話しに、夜半を過ぎる頃〝おいま井戸〟の辺りから悲しげな女の声で「一ツー二ツー三ツー」と、芋をかぞえるのが聞こえるといゝ、ときおりうらめしげなその姿がみえたと語り伝えられています。
いちまーい、にまーい、と皿を数えたのは『番町皿屋敷』のお菊である。同じような話が姫路にもあるが、こちらは『播州皿屋敷』という。類話は全国に点在し、まとめて皿屋敷伝説と呼ばれている。
ここ倉敷では、芋を数えるのが特徴だ。なぜ芋なのか。当時、倉敷は天領で石見銀山を支配する大森代官が倉敷の地も管轄していた。享保の大飢饉の折に代官だったのは、井戸平左衛門である。彼は救荒作物としてサツマイモの栽培を奨励し、「芋代官」として後世の人々から慕われた。
「おいま井戸」の怪談は、皿屋敷伝説からの派生と考えられる。皿を割ったお菊の話を聞いた倉敷の人々は、大切さがより実感できるアイテムとして芋を採用し、皿と置き換えて語り伝えたのであろう。
ただ、私は自問するのだ。怪談の成立過程を分析するのは、それなりに意義あることだと思うが、これが本当の面白さなのか。論理的に考えるようになった代償として、あの頃のドキドキ感を失っている。青春の後ろ姿がだんだんと遠ざかっていくようだ。
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