「生カキ」とか「森喜朗古墳」とか、完膚なきまでにこきおろされていた新国立競技場の計画が白紙撤回となった。今日、安倍首相が決断した。久々の見事な政治判断である。同様な決断を辺野古問題でもしてほしいのだが、話題がそれるのでこれ以上言わない。
新競技場の建設計画が白紙になると、逆に「キールアーチ」案の斬新さが貴重に思えてくる。あったかもしれない幻の国立競技場だ。ぜひとも、東京オリンピック開会式の際には、当初はこんな案でしたよね、と「生カキがドロッとたれたみたいなデザイン」をもう一度見せてほしい。
松江市殿町の島根県庁前に「岸清一先生像」がある。この像は昭和10年(1935)に内藤伸制作により建立されたが、戦時中に金属供出され、昭和39年に内藤の門弟である西田明史らの制作により再建された。
岸は松江市雑賀町で下級武士の子として生まれた。東京帝国大学を卒業し弁護士として活躍し、晩年には勅選により貴族院議員も務めた。
それ以上に意義深いのは、大日本体育協会の会長や国際オリンピック委員会の委員を務め、我が国のスポーツ振興に貢献したことである。どちらの役職も日本体育の父、嘉納治五郎の後を継いだものだ。東京の「岸記念体育会館」にその名を残し、故郷では松江市民の誇りとして名誉市民となっている。
冒頭で東京オリンピックの話題を出したが、実は、オリンピックが東京で開催されることが決定したのは3回目である。3回目は2020年の予定で、2回目は1964年に実施された。そして1回目は1940年の実施予定だったが、日中戦争により開催権を返上した。
その1回目の幻の東京オリンピック招致に尽力したのが、国際オリンピック委員会(IOC)委員にして大日本体育協会会長の岸清一であった。東京は昭和7年(1932)に第12回大会の開催候補地として正式に立候補した。他にはローマ、バルセロナ、ブダペスト、ヘルシンキ、ダブリン、アレキサンドリア、リオデジャネイロ、ブエノスアイレス、トロントが立候補した。
このうち最有力はローマと見られていた。そんな昭和7年9月29日、岸は昭和天皇にオリンピックについて御進講を行った。岸は開催地をめぐる情勢について、次のように説明した。岸清一述『第十回国際オリムピツク大会に就て』(大日本体育協会、昭和7)より
欧州のスポーツ界の人々中日本を見たき希望を有する人と日本に対し同情を有する人々も少からず、嘉納と岸とが色々と奔走尽力の結果東京説に対しても相当に賛成者がありますけれども未だ仲々楽観を許しません。此問題の決定は今より三年後、即ち昭和十年国際オリムピック委員会の毎年開会するコングレスに於て決定せらるゝことになって居りますから、それまで不断不休の努力を要します。唯茲に注意を要します一事は独逸政情の変化でありまして、若しヒトラーのナチス一派が政権を握るに至らば、彼の一派は予てより国際オリムピック無用論を固執して居りますから、其場合には羅馬に於て十一回国際オリンピック大会を短期の予告を以て引受くることに委員長のバイエー、ラツール伯とムッソリーニとの間に黙約があるそうです。故に此場合には日本が今日の勢を以て努力を惜まざれば案外樂々と第十二回の大会が東京に転げ込むかも分りませぬ。併し之れ丈けの協定が両者の間に存在して居ることに留意すれば、ローマを破りて東京に第十二回の大会を持ち来ることは独逸の政変なき限りは非常に困難なりと存じます。
岸は嘉納治五郎とともに東京開催に尽力したものの、その実現には悲観的である。やはりローマには勝てそうにない。勝てるとすれば、昭和11年(1936)の第11回大会のベルリン開催をドイツが取り止め、代わりにローマが引き受けた場合だ。すると12回大会は東京が最有力となる。ドイツで最近急成長のナチスはオリンピック無用論を主張しているから、政権を握ればベルリン開催を返上するかもしれない。東京開催実現には不確定要素が多すぎる情勢だった。
実際にはどうだったのか。岸の御進講の翌年、1933年にナチスが政権を握り、ヒトラーが首相となる。しかし、ヒトラーはオリンピックが国威発揚の好機となることに気付き、ベルリン開催は決定する。12回大会はやはりローマ開催かと思われたが、1935年にイタリアがエチオピアに侵攻しローマ開催を辞退する。そして、翌1936年に東京開催が決定したのである。しかし、1938年には日中戦争により日本も開催権を返上することとなった。
岸は昭和8年(1933)に亡くなるので、東京開催の決定は知らない。岸の悲願であったオリンピック開催は1964年に実現し、日本の高度成長を世界に知らしめた。そして再び2020年に開催することができる。泉下の岸もさぞかし喜んでいることだろう。
2020年の東京オリンピックは「コンパクト五輪」がキャッチフレーズだった。コストダウンしてもこんなに充実した大会ができますよ、と世界にお手本を示すはずだった。ところが、実際にはコストダウンどころかアップアップで、高級「生カキ」競技場になってしまったわけである。
夏季大会だけにカキですか、とツッコミを入れる間もなく、カキにあたって七転八倒、そこへ首相の決断が特効薬となって小康を得ることとなった。
費用を上げる決定を誰がしたのかが分からないというのも、責任を取る人が誰もいないというのも、実に日本的だ。こうなったら一億総懺悔でしょうか。次のデザイナーさん、あなただけが頼りです。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。