照りつける陽射し。耳いっぱいに蝉の声。目を細めながら見上げた空には入道雲。夏の心象風景である。ところがどうだ。8月の後半から今に至るまで、雨か曇りで梅雨かと思うような毎日である。
各地で突風被害も出ている。災害列島日本、もっと防災に関心を高めたいと思う。本日は、全国に3例のみという珍しい堤防を紹介しよう。訪ねたのは播磨五川の一つ、揖保(いぼ)川である。
普段は穏やかに流れる揖保川も、過去には大暴れすることがあった。特に明治25年7月には台風により氾濫し、1万戸以上が浸水する大きな被害となった。
水害を防ぐためには、堤防の改修が必要だ。近年は「スーパー堤防」という、幅が広くて頑丈な堤防の整備が進められている。民主党政権の事業仕分けで槍玉に挙げられたくらいだから、その堤防の巨大さは尋常ではない。
では、揖保川の堤防はどうなのか。
たつの市龍野町富永の龍野橋近くの揖保川堤防を「畳堤(たたみてい)」という。向こうに淡口醤油で有名なヒガシマル醤油の工場が見える。
どこが堤防ですか?橋の欄干ではないのですか? いや、これが特殊堤「畳堤」なのだ。その名のとおり、いざという時には畳をはめ込んで壁を造り、堤防とするのである。だから、畳の厚さくらいの溝が作られている。
なぜ畳堤なのか。メリットはこうだ。
①民家の立ち退きや道路の付け替えをしなくて済む。
②揖保川の美しい眺望を守ることができる。
③畳は付近の民家から調達しやすい。
④畳は水分を含むと膨張して遮水性を増す。
⑤畳には水圧に耐えうる強度がある。
畳堤が建設されたのは昭和25年から数年間のことだ。日常生活と防災、そして景観にも配慮した先人の努力と工夫には頭の下がる思いだ。
ただし近年、不具合が生じている。畳をはめ込む枠の大きさは、建設当時一般に使用されていた本間サイズである。ところが、時を経るにつれ団地サイズの小さな畳が多くなり、今では畳のない家も多い。
そこで、たつの市では、水防センターなどに専用の畳を保管し、畳をはめ込む訓練もしているそうだ。先人の知恵を今に活かす防災の模範的取組と評価できよう。
この畳堤が見られるのは、他に岐阜市の長良川、宮崎県延岡市の五ヶ瀬川だけだそうだ。揖保川の畳堤は、たつの市中心部だけでなく、下流の旧山陽道のあたりにも見られる。
たつの市揖保川町(いぼがわちょう)正條(しょうじょう)に「正條の渡し場跡」がある。旧山陽道を上方へ向かう旅人は、写真左手に位置する正條宿から揖保川を舟で渡ったのである。
ムクの巨木が昔の賑わいを今に伝えるかのように立っている。畳堤だから守ることができた景観だ。畳堤が周囲の景観を守るという彼我の関係ではなく、両者は一体となって私の心をとらえる。
幸いなことに、築造以来、畳堤は使われたことがない。それでも、今も現役で人々の暮らしを守り、歴史的にも価値ある特殊堤である。我が国の誇る「防災遺産」と呼んでいいのではないか。
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