子どもの頃には誕生日とかクリスマスというと、何か特別な時空にいるように感じていたものだ。それが今では、何事もなかったかのように一日が過ぎていく。歳を重ねると瑞々しい感性が失われていくのか。
ところが、元旦だけは別だ。車が少ない。だから音がしない。テレビが特番ばかりだ。みんな初詣に出かける。食べ物が普段より少しいい。
そんな表面的な特徴だけではない。空気が前日までとちがう。どうも新鮮なO2が供給されているらしい。地球も自転を少し遅くして、時間をゆったりと流しているようだ。
秋も深まらないのに、正月の話で恐縮だが、少々お付き合い願いたい。本日は小林一茶の俳句である。
観音寺市観音寺町の専念寺の境内に「小林一茶句碑」がある。
生誕地のある長野県信濃町には「一茶さん」というキャラクターがいて、今年のゆるキャラグランプリにも出場している。生誕250年を記念して一昨年に作られた。円筒形でてっぺんが平らの宗匠頭巾(そうしょうずきん)をかぶってニコニコしている。確かに一茶には、そんなイメージの句が多い。
ここ専念寺の句碑には、どのような句が刻まれ、どんな由来があるのだろうか。門前の説明板を読んでみよう。
一茶と専念寺
浄土宗専念寺の境内には、俳人小林一茶の句碑があります。一茶は寛政四年(一七九二年)専念寺住職の性誉(しょうよ)大和尚(だいかしょう)俳号五梅を訪ねてきました。一茶は和尚と同じ江戸の俳人二六庵竹阿(ちくあ)の弟子だったことで厚遇を受けました。二年後の寛政六年(一七九四年)に再びこの寺を訪れて正月に詠んだ一句が
元日やさらに旅宿(はたご)とおもほへず
句碑は寺に残っている一茶の自筆を模写したもので、句意は「この宿ではいつもよいもてなしを受けたので旅の宿とも思えない気がする」というものです。
観音寺市観光協会
この句は一茶の句日記『寛政七年紀行 西国旅日記』の冒頭にあり、漢詩と俳句が長歌と返歌のように詠まれている。さすがは江戸で修業した教養人である。
乙卯歳旦
於専念精舎
今日立春向寺門。々々花開愈清暾。
入来親友酌樽酒。豈思是異居古園。
元日やさらに旅宿とおもほへず
寛政七年(1795)元旦 専念寺にて
今日、春を専念寺で迎えた。花が咲いて朝日がすがすがしい。親友がお出でになったと樽酒を酌んでくれる。ここが見知らぬ住まいと庭だなんて、どうして思えようか。
元旦だなあ。とても旅の宿とは思えない居心地だよ。
私はこれまで元旦の朝に自宅以外で目を覚ましたことはなく、少々うらやましく思える。一茶は遠く離れた友人の家で新年を迎え、温かいもてなしに心はすっかりほぐれている。目にするものはみな美しく、時はゆったりと流れている。寛政七年もいい年でありますように。33歳の一茶であった。
時を経て、文政二年(1819)、一茶は57歳になった。この年の正月に故郷で詠んだのが、有名な「めでたさも中くらいなりおらが春」である。専念寺の句とは、気分の高揚感が明らかに異なっている。
場所の違いか、歳のせいか、あるいは一茶を取り巻く状況が異なっているからか。元旦は毎年同じように特別なめでたさを提供してくれるが、それを感じ取るのは人の心だ。中くらいとさえ言えない場合もあるだろう。
お正月気分になれるのは、有難く幸せなことなのだ。今年もあと2か月半。無事に正月を迎え、お酒を酌み交わすことを目標としたいと思う。