今月19日に映画『ちはやふる』が公開される。千早役は飛ぶ鳥を落とす勢いの広瀬すずである。なんでも「上の句」と「下の句」の二部作だそうで、水がぬるんで花が咲き、詩心の湧きいづる季節、春に公開するところがにくらしい。
千早が好きな札は、もちろん自分の名前の歌「ちはやふる…」だ。百人一首の中でも人気の歌で、これだけは憶えている、という人は多いだろう。今回は映画公開を記念して、ゆかりの地をレポートする。といってもロケ地ではない。
奈良県生駒郡斑鳩(いかるが)町神南(じんなん)4丁目の三室山のふもとに「百人一首歌碑」がある。在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)と能因法師の歌が並んでいるが、法師は別の機会に紹介する。
まずは業平朝臣の歌をおさらいしておこう。
千早ふる神代も聞かず 竜田川からくれなゐに 水くゝるとは
あの神さまだって見たことがないよ。竜田川を紅(くれない)に染めるなんて。意味が分かりやすく、イメージは鮮やか、詠み手の感動をそのまま共有できる秀歌だ。
歌碑と竜田川が一緒に写真に納まればいいのだが、川を背にして撮影している。竜田川と紅葉を愛でるなら、歌碑から少し北へと歩けばよい。県立竜田公園である。
斑鳩町龍田南6丁目に「紅葉橋」が架かっている。紅葉橋の下を竜田川が流れ、われらの恋が流れる。涼しくもなっていない時期に撮影したので、「からくれなゐ」には程遠い。
きれいな公園は、業平朝臣の歌にちなんで整備されたのかと思ったが、竜田川と紅葉は古くから深いゆかりがあるそうだ。説明板を読んでみよう。
龍田川ともみじの由来
龍田川の紅葉(もみじ)は、第十代・崇神(すじん)天皇が龍田明神に行幸され、五穀豊穣を祈られ、上流より流れてきた八葉の楓(かえで)葉を龍田の神さまに献上されました。
のち文武(もんむ)天皇が行幸のとき、紅葉を見て大変感動されたと言います。以来、龍田川は紅葉の名所として、天下に知られ紅葉といえば連想されるようになりました。
持統・文武・平城の各天皇をはじめ、平安時代の歌人によって紅葉を詠みもてはやされ昔の和歌集に数多く詠まれています。
江戸時代には、並松(なんまつ)在住の国学者の藤門周斎が地元の人々と共に、増殖・保護に努めたといいます。その成果により、年々観光客が増え紅葉の名所として広く知られるようになりました。
現在、県立竜田公園として開設されています。
多くの貴人を魅了してきた竜田川、その美しさは歌に詠まれ、百人一首として人口に膾炙し、漫画や映画のタイトルにまで昇華している。
それだけではない。マックのかつての定番「チキンタツタ」を思い起こすがよい。ハンバーガー屋さんにまで進出しているのだ。なぜチキンタツタなのか。鶏の竜田揚げをはさんでいるからだが、そもそも、なぜ竜田なのか。
ここ斑鳩町では、「竜田揚げ上げ↑プロジェクト」というご当地グルメキャンペーンが行われている。そのリーフレットによれば、竜田揚げの語源はこうだという。
魚や肉を醤油、みりん、生姜などに漬け込み臭みをとり、片栗粉にまぶして揚げた唐揚げを「竜田揚げ」と呼びます。この「竜田揚げ」の名は斑鳩を流れる紅葉の名所竜田川に由来します。揚げた時に醤油の色が赤くなり、ところどころに片栗粉が白く浮かぶ様子が紅葉が流れる竜田川に見立てられたところから、その名前がついたと言われます。また、別説では、旧日本海軍の軽巡洋艦「龍田」の料理長が、唐揚げを作る際に小麦粉の代わりに片栗粉を代用したことから、とも言われますが、「龍田」の艦名は竜田川からきているので、どの説を取っても、「竜田揚げ」と斑鳩町の関係は深いと言えます。
なるほど、あの美味い竜田揚げは「ちはやふる…」の歌ゆかりの逸品だったのだ。私は思い出す。鯨の竜田揚げを。噛めば噛むほどにジューシーな給食メニューを。業平朝臣が視覚で愛でた竜田を、もっぱら味覚で楽しんだものだ。
ところがどうだ、今の世代は。千早が青春を懸ける競技かるたによって、「ちはやふる…」の歌を記憶する。なんと教育的であることか。人間性洞察の力と表現の美しさで知られる百人一首。その魅力が若い人々に確実に受け継がれている。
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