19日公開の広瀬すず主演『ちはやふる』が大コケだという情報がある。“壁ドン”がないからだとか、すずちゃんがどうのとか、好き勝手に言われているが、私は若い人が百人一首を知る好機となる優れた映画だと高く評価している。内容のよさが興行収入に直結しないのはつらいが、この世界の厳しい現実でもある。
本日は百人一首46番歌の歌碑をレポートする。壁ドンを詠んではいないが、恋の歌である。
宮津市由良に「曾禰好忠歌碑」がある。
この碑文がすらすらと読めたらすごい。私が訪れた時には説明板がなく、曾禰好忠という名前を確認するのが精一杯だった。ところが、ネットを調べてみると、かつてここにあったと思われる説明板の写真が見つかった。さっそく読んでみよう。
遊(ゆ)らのと乎(を)王(わ)多(た)る
舟人か遅(ぢ)を多(た)えゆ久(く)へもし
良(ら)ぬ恋乃(の)三(み)ち可(か)那(な)
百人一首四十六番のこの一首は「新古今集」巻十一、恋歌一に出ている。
「由良の門」は、名所歌枕一覧に「丹後京都府宮津市栗田湾に面する由良川の河口付近の海」と記載されている。
作者曾禰好忠は平安中期(九八五年頃)の優れた歌人で、素材や句法の上にさまざまな工夫を試みた。
「由良の門」は、紀淡海峡の由良を想定する説もあるが、作者が丹後掾(たんごのじょう)であったことからこの地とする説も多い。
結成三十周年記念
平成十四年十一月吉日
由良の歴史をさぐる会
これを読んで初めて歌碑の価値が分かった。百人一首第46番はふつう次のように書き表される。
由良の門(と)を渡る舟人(ふなびと)かぢを絶えゆくへも知らぬ恋の道かな
由良の海を行く舟人が梶をなくして漂うように、私の恋はどうなってしまうのだろう。手漕ぎ船に乗っているのにオールを失えば、もはや流れに身を任せるしかない。私の恋も相手次第だ。もうダメになるかも…。
ため息をついて「なんで?」と自問するが答えなど見つからない。どう考えても、うまくいくとは思えない。恋する誰もが一度は味わうであろう絶望感を巧みに言い表した秀歌である。舟がゆらゆらするさまを由良の地名で印象付けている。
ただし、「かぢを絶え」には、二通りの解釈がある。一つは「梶を絶え」として、上記のようにオールを失ったと解する。もう一つは「梶緒絶え」として、オールを舟に固定するロープが切れてしまったとするものである。
後者はオールを失ってはいないので、なんとか漕ごうとするのである。あれこれと試してみるのだが、支えのないオールではどうにもならない。恋の路でも、あるだろう。電話しても出てくれないし、メールしても返ってこない。あがいてはみるが、どうにもならない。
単に手段を失くした絶望感と、手段を尽くそうとするのにどうにもならない徒労感、どちらが印象的か。あれもダメこれもダメ。「やっぱ、ダメか…。」後者のほうが、ため息は深い。「を」一文字の解釈で味わいが異なる。
道をはさんで南側に「由良の戸碑」がある。
古色蒼然とした石碑は、何を伝えているのだろうか。傍らの説明板を読んでみよう。
天保初年、京都の歌人賀茂季鷹が若狭小浜から天橋立へ行く途中、由良の沖を舟で通った。曽禰好忠が詠んだ
由良の門を渡る舟人かぢを絶え
ゆくへも知らぬ恋の道かな
を思い出して、
由良の戸に梶を絶えしは昔にて
安らに渡るけふの楽しさ
と口遊ぶと共に、好忠が丹後掾であったことを思い起こして、そのことを書き記したものがこの碑である。
付記 裏面には、天保十二年に建立された経緯が明記されている。
由良の歴史をさぐる会
天保十二年(1841)の建立だから、これはこれで貴重な歴史資料である。賀茂季鷹(かものすえたか)という京都の歌人は、「由良の門(戸)」が有名な歌枕であることを思い起こして、 自分もまた歌を詠んだ。
賀茂季鷹は上賀茂神社の祠官で、当時は有名な歌詠みだった。由良の戸で舟が漂泊したのは昔のことよ。穏やかな旅で、今日は最高! どうやら、よい思い出がつくれたようだ。
上記にも見えるが、由良の門は丹後ではなく、淡路だという説がある。洲本市由良町由良は紀淡海峡に面した地である。紀淡海峡は潮の流れが速い。舟が流され不安が募るという状況にふさわしい場所に思える。
ただし、丹後の由良川の河口も流れが複雑で、今も小型船舶の航行やマリンレジャーでは注意が喚起されている。さらには、「由良の門を…」を詠んだ曾禰好忠が丹後掾だったことも、由良の門=丹後説に有利だ。
さて、「由良の門を…」の歌は、アニメ『ちはやふる2』第19首「ゆくへもしらぬ こひのみちかな」(2013/5/17)に登場した。タイトルからは青春アニメにふさわしいスウィート感が伝わってくるが、実際の内容は競技かるたの熱い戦いのシーンが中心だったらしい。やはり、「こひのみち」には“壁ドン”が必要なのだろうか。
おだにさま
地元にお詳しい方からコメントをいただけて光栄に存じます。御説のとおり、京とのつながりを考え合わせると、歌の意味がさらに深く感じられます。
よい勉強になりました。
投稿情報: 玉山 | 2017/07/08 14:27
田舎を取り上げて頂きありがとうございます。
父は、歴史を探る会の創設メンバーで子供の頃には例会に同行したりしました。父は由良の門は瀬戸内だろう、と言う派でした。
地形として海の門というの海峡であって外海に広がる由良海岸には適さないからだ、と言うのがその理由でした。ただ自分は由良川河口は河幅も広く昔は京へのルートが由良川を遡上する事が多かったであろう事を考えれば、由良海岸の由良川河口を、海に面した門 と見立て、流れも速く複雑な河口から京に向けて舟を操る舟人に恋路を重ねて詠んだのでは、と思います。
それを考えれば、恋の相手は遠く離れた都の女性で、遠距離恋愛の切なさも含まれるのか、と想像も広がります(笑)
今となってはその考えを父にぶつけて議論する術もありませんが、そこそこ悪くない見立てだと思っています。
投稿情報: おだに | 2017/07/08 07:10