今年、太宰府天満宮の飛梅は1月9日に開花したそうだ。都から一夜にして大宰府に飛んだという「飛梅(とびうめ)」。その飛距離600km余り。時速100km程度か。推進力となったのは、道真公を慕う思いであった。念ずれば花開く、というより、飛んでいくのである。
井原市芳井町吉井に「天(てん)神社」が鎮座している。
扁額に「天満宮」とあるから、菅原道真公をお祀りしていることが分かる。天満宮は、公が大宰府に左遷される際に立ち寄ったとか、ゆかりの場所にあることが多い。ここは瀬戸内海からは離れているが、いったいどのようなゆかりがあるのだろう。井原市教育委員会の説明板を読んでみよう。
天神社の創建年代は詳らかでないが、「天神社誌」に次の様な話が記されている。
「延喜元(九〇一)年、菅原道真が太宰府に左遷される途中播州曽根(現兵庫県高砂市曽根)に立ち寄り、自らの像を刻んで『我を信仰ある所に落ちよ』と投げ上げた。像は当地に飛来し、これをみつけた村人たちによって祠られ、以後天神社は吉井の氏神として信仰された」
ここに書かれた伝説のすべてを信じる事はできないが、曽根にも道真の伝説を残す曽根天満宮があり、幕末ともに一橋藩領であった吉井と曽根の関係を示しているのではないかと考えられる。
また、文明年間(一四六九~一四八六)に画聖・雪舟が天神社に詣で、そこに祠られていた道真の肖像画を天神山の重玄寺に持ち帰ったと言う。この伝説の画幅は昭和五十五年に重玄寺(芳井町吉井)の宝物の中から発見されて話題を呼んだ。
本殿・延宝三(一六七五)年、拝殿・文政四(一八二一)年、幣殿は大正四(一九一五)年の造営。例祭は十月の第四日曜日に行われている。
なんと、道真公の木像が飛んで来た、というのである。そういえば、国宝「信貴山縁起(しぎさんえんぎ)」では、鉢が飛び、倉が飛び、米俵が飛ぶ。流される道真公は自身の像を飛ばし、公を追って梅の木が飛んでいく。どうやら平安時代には、いろんなものがやすやすと飛び交っていたらしい。現代のドローンよりも遥かに先進的である。
曽根天満宮については以前にレポートした。高砂市曽根と芳井町吉井を結ぶのが一橋(ひとつばし)家だというのも、伝説の生成過程を示唆しているようで興味深い。
さらに気になるのは、あの雪舟がここを訪れたということだ。言い伝えのとおり、道真公の肖像画が重玄寺から発見されたことが証拠だという。
ただ、発見といっても、かつてはその存在を知られていたのではなかろうか。まず、道真の肖像画が重玄寺にあった。その説明として、雪舟が持ち帰った、というストーリーが後付けされた。そんな可能性も排除できないような気がする。
天神社の前には、県の特別名勝「天神峡」が広がっている。写真は梅雨空で冴えないが、秋の紅葉は素晴らしいと聞く。山水を愛した雪舟のことだ。この地を訪れたのも事実かもしれない。道真公の木像も、あるいは本当に飛んで、天神峡の美しさに魅せられて舞い降りたのではなかろうか。
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