今年明るみに出た「パナマ文書」の衝撃は、世界の首脳を震え上がらせた。アイスランドでは首相が辞任に追い込まれたほどである。タックス・ヘイブンとかいう天国に、お金を貯め込んでいたらしい。金持ちなんだったら、ちゃんと税金払えよ、というのが庶民感覚だが、合法か違法かというと「違法ではない」そうだ。
先日も、政治資金で家族旅行をしていた都知事が「違法ではない」と強弁していたが、都議会で炎上状態になって辞任した。お金を巡る不正は政治家の命取りになる。政治で最も大切な「信頼」を裏切るからだ。
大田市温泉津町温泉津の愛宕神社に「大久保長安逆修(ぎゃくしゅ)塚」がある。逆修塚とは、自分の死後の冥福を祈って生前に建てた塚である。
朝の爽やかさに誘われて宿から散歩に出て、愛宕神社に向かう急な階段を上ると、石州瓦の赤い町並みと青くて穏やかな温泉津湾が見下ろせた。長安もこの町が気に入っていたのであろう。
石塔の正面には「大安院殿正誉一的朝覚居士」の法名と「慶長十八癸丑年四月二十有五日」の日付が刻まれ、右側面に「為朝散大夫従五位下石見守大久保矦自建之」とある。
「朝散大夫」とは従五位下の唐名、「自建之」とあるように生前に建てられたものである。それにしては風化が進んでおらず新しい感じがする。それもそのはず、昭和51年に温泉津町観光協会によって再建されたものだという。
大久保氏といえば、大久保忠隣(ただちか)を初代とする小田原藩主家が有名だが、長安はその一族ではない。はじめ武田氏に仕えていたが、その滅亡後に家康に仕え、忠隣から大久保姓を賜ったという。
家康は関ヶ原の戦いに勝利すると、直ちに石見銀山を接収し、慶長六年(1601)に長安を初代奉行に任じた。長安は、温泉津を銀山向けの米や木炭の補給基地とし、住民にそれらを運ぶ伝馬(てんま)役を課した。同時に長安は住民の負担感をおもんぱかり、慶長十年(1605)10月26日、温泉津の地銭(宅地税)を永久に免除した。
それゆえ、温泉津の人々は長安に深く感謝し、次のような行事を始めたという。石村禎久『温泉津物語』(温泉津観光協会)より
愛宕山にある逆修塚と向かいあわせの万灯山で、毎年旧暦の七月の盆には、数千の万灯がともされて石見守のめい福を祈る行事がくり返され、この風習は明治の終わりまで続いた。
行事は途絶えてしまったが、長安への感謝が今も続いていることは、逆修塚の再建だけでなく、平成24年に温泉津で「大久保石見守長安没後400年顕彰事業」が実施されたことからも分かる。
「逆修塚」は温泉街の恵珖寺にもある。また、石見銀山のある大森の正覚山大安寺跡にも「逆修墓」がある。さらに遠く、佐渡金山のある佐渡市相川江戸沢町の長栄山大安寺にも「逆修塔」がある。
というのも、長安は初代の佐渡奉行でもあり、伊豆の金山を開発し、八王子に領地を得て、幕府政治の中枢に参画していた。八王子においては都市建設の恩人として顕彰されている。
大田市三瓶町池田に「定めの松」がある。大田市指定の天然記念物である。もとは対で道の向こう側にも巨木があったが、枯死のため倒され、新たに植樹されている。
この松も長安の事績だというのだ。大田市教育委員会の説明板を読んでみよう。
慶長六年(一六〇一)、石見銀山御料の初代奉行大久保石見守長安は御料内の検地を基礎に町立てや交通網の整備を行ったが、この松はその頃一里塚の基準として定めた松という。また一説には旅人や里人が雪道の道標として植えたものともいわれている。
この松は別名を根掘(ねぼ)れの松とも呼ばれて長年に亘る土砂の流出により根が露出しその異名がある。
推定樹令は二株とも約四〇〇年で樹高二十一メートル目通りの径は一.七メートルあり、対立性一里塚松としては県下唯一のものである。
(西側の松は、平成十九年に枯死し、平成二十年七月に、二世松を植樹しました。)
事実、長安は幕府の命により、主要な街道に一里塚を整備している。定めの松も「一里塚の基準」だというが、道は名の知れた街道ではない。広い高原に雪が降って白銀世界になっても、道案内をしてくれる役目を担っていた、との説のほうが説得力がある。おそらく長安には何ら関係のない松であろうが、長安の事績と伝えられたのは、地元民からそれだけ尊敬されている証左といえよう。
「根掘れの松」とも呼ばれるそうだが、このように迫力のある根元をしている。
石見、佐渡、そして八王子で、今も人々から顕彰されている長安。慶長十八年(1613)4月25日に69歳で亡くなると、長安の名誉と一族の運命は急変するのである。遺体は辱められ、遺子7人は切腹させられた。
長安生前の不正蓄財が発覚したというのだ。「火のない所に煙は立たぬ」というから、長安にも何がしかの隙があったのかもしれないし、家康の名参謀・本多正信(「真田丸」では名優・近藤正臣)の陰謀だったのかもしれない。後者だとするなら、大坂の陣を見越しての引き締め策というわけだ。
粛清によって体制を引き締めるのは、近隣の独裁国に実例がある。我が国の都知事の場合は、すべて身から出た錆のような気がするが、参院選を前に粛清されたという側面もある。古今東西、お金に惑わされた事件は後を絶たない。まこと、銭は魔物でございます。
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