「全国未成線サミット」という、鉄道ファン待望のイベントが、来たる3月4日(土)に五條市で開催される。廃線跡と未成線とは似て非なるものだ。どちらも今、実際に列車は走っていない。かつて列車が走っていたのが廃線跡であり、一度も走ったことのないのが未成線である。
つまり未成線とは完成しなかった鉄道であり、完成できなかったのは採算がとれないという判断があったからだ。鉄道らしい遺構が残っているのは廃線跡と同様で、探訪の楽しみがある。ここに鉄道が通っていたら、どのような風景になっていただろうか、という空想力さえあれば誰でも楽しめる。
本日は我が国を代表する未成線、五新線の高架橋をレポートする。
五條市新町一丁目に「新町高架橋」がある。ここを走る列車を空想しながらご覧いただきたい。
新しそうに見えるが、昭和17年に完成した無筋コンクリートアーチ橋である。鉄筋コンクリートでなくて大丈夫なのか。鉄筋が入っていると強度は上がるものの、耐久性は下がってしまう。鉄筋が腐食するからだ。また、単に耐久性を考慮しただけではなく、戦時中だけに鋼材不足という背に腹はかえられぬ事情もあったようだ。
この高架橋は右手前少し先の吉野川でいったん終わるが、Googleマップでは、対岸からさらに南へ南へと続く鉄道らしい線形を確認することができる。いったいどこへ向かおうとしていたのか。説明板を読んでみよう。
明治末期、五條市から新宮市までを結ぶ「五新鉄道」の建設熱が高まりました。昭和12年(1937)から着工され、吉野川横断の橋脚、生子(おぶす)トンネルの貫通まで至りましたが、太平洋戦争が始まり資材不足等の理由で、工事は中断されました。戦後、工事が再開され、昭和34年(1959)に五條-新宮間の路盤工事が完成し、軌道敷設等の工事を残すのみとなりましたが、経済社会情勢等の変化によって、五新鉄道の夢は叶うことなく中断されました。
実際に路盤工事が行われたのは、今回サミットが開かれる五條市西吉野町城戸までであり、終着駅となる新宮までは紀伊山地を貫く大工事が必要だった。かくして幻の鉄道となってしまったわけだが、仮に完工し開業したとしても、今、存続していたかどうか。
昨年9月に(公財)土木学会が、2016年度の「土木学会選奨土木遺産」の一つに「旧国鉄五新線(未成線)鉄道構造物群」を選定したと発表した。その認定書の授与が、今回のサミットで行われる。
この高架橋を含め、路盤工事には莫大な費用が投入された。まさに無駄な投資という負の遺産であり、地元の期待する鉄道は儚い夢となった。それを、地方創生の夢をはぐくむ鉄道遺産と前向きに捉え、いかに活用するかをサミットで話し合う。地域が元気になるために、そして人が生きていくためは、そう、“夢”が必要なのだ。
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