「不倫」は民法上、立派な離婚事由に該当するし、事実まっしぐらに離婚へと突き進むケースも多い。しかし「不倫」という法律用語はなく、民法では「不貞」と表現する。ただし不倫と不貞では、その意味する所は少々異なるが、ここでは詳述しない。
江戸時代の「不倫」はどうだろうか。有名な公事方御定書(くじかたおさだめがき)においては、「密通」に対して死罪を含む厳罰が科せられている。それゆえ、この世が無理なら、せめて来世で結ばれようじゃないか、と心中事件が起きることもあった。
五條市本町二丁目に「赤根屋半七宅址」がある。赤根屋は染物屋だった。
元禄八年(1695)12月7日に、半七(はんしち)が女芸人のおさんと、今の大阪千日前で心中しているのが見つかった。当時の千日前は墓地の広がる寂しい場所だったという。
この事件は次々と劇化されていくが、特に安永元年(1772)初演の『艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)』は、世話物の名作として今に知られている。劇では、酒屋茜屋(あかねや)の息子半七が、お園という女房がありながら女芸人の美濃屋三勝(さんかつ)と不倫しているという設定となる。
半七とお園、それぞれの親の思いが描かれたあと、お園は、戻らぬ半七の身を案じてこうつぶやくのであった。名場面、お園の「口説き」である。
今ごろは半七様(はんしちっつぁん)、どこにどうしてござろうぞ。今さら返らぬことながら、わしといふ者ないならば、舅御さんもお通に免じ、子までなしたる三勝殿を、とくにも呼び入れさしやんしたら、半七様の身持ちも直り、御勘当もあるまいに。思へば/\この園が、去年の秋のわづらひに、いっそ死んでしまふたら、かうした難儀は出来まいもの。お気に入らぬと知りながら、未練な私が輪廻ゆゑ、添ひ臥しはかなはずとも、おそばにゐたいと辛抱して、これまでゐたのが御身の仇、今の思ひにくらぶれば、一年前にこの園が、死ぬる心がつかなんだ。こらへてたべ、半七様、わしゃこのやうに思ふてゐる。
こんな嫁さん、いるわけねえだろ、と言ってはいけない。貞淑なお園が自分を責めてまでも一途な思いを吐露する切なさに泣けるのである。
五條市須恵1丁目の桜井寺に「三勝・半七比翼塚」がある。昭和6年に建てられた。
二人の墓は心中場所の千日前にある。大阪市中央区千日前二丁目の三津寺墓地に、「三勝半七の墓所」と表示された自然石が二つ並んでいる。ここ五條では、立派な石柱に戒名が刻まれ、仲良く寄り添うように供養されている。
お園は本当にこれでよかったのだろうか。おそらくは、いいも悪いもなく、人の心はそういうものと思っていたのではないか。他人の心は変えられぬ。現実を見て自分が変わるしかないと。これも一つの生き様である。
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