嘉美心(浅口市寄島町)の蔵祭りが9日(日)にあった。この蔵は毎回工夫した企画で大勢の人をもてなす。この日は、初めて披露された酒があった。ならばと、さっそく試飲。美味し!「雄町 純米吟醸」である。雄町米を原料とした酒をこよなく愛するオマチストをうならせる逸品が誕生した。
酒米と言えば、「山田錦」を筆頭に「五百万石」「美山錦」がよく知られている。とりわけ「山田錦」は品評会での常勝米で、「山田錦」を原料米に、「きょうかい9号」酵母を使い、精米歩合を35%とすれば金賞間違いなし、という都市伝説「YK35」までささやかれた。そんな「山田錦」の親の親が「雄町」なのである。同じく「五百万石」にとっても親の親になる。
岡山市中区四御神(しのごぜ)に「純正雄町米特産之地」と刻まれた碑がある。背景の山は龍ノ口山で、その南部では雄町米の生産がさかんだった。
「昭和十四年五月建之」と、建立の年月が分かる。昭和15年発行の岩槻信治『稲作改良精説』(賢文館)という専門書では、酒造好適米について次のように解説されている。
然し何と云っても今の所多数の酒造家に歓迎されるのは大粒心白米でなければならず、段々詮じつめれば雄町が最良最適であって、畢竟酒米は雄町に限るといふことになってしまふのである。
この頃は、今の「山田錦」の如く、圧倒的なブランドイメージだったようだ。ただ、「雄町」にも弱点があった。背丈が高く倒れやすく、病気にもかかりやすい。そんな弱点を克服するため品種改良が行われ、「山田錦」「五百万石」が誕生することとなる。では「雄町」にはどのような由来があるのだろうか。
岡山市中区雄町に「雄町米元祖岸本甚造碑」がある。昭和15年10月の建立だから、まさに雄町米の全盛期である。
岸本甚造さんは雄町米の元祖だという。いったい、どういうことだろうか。碑文を読んでみよう。
翁姓ハ岸本名ハ甚造寛政元年二月五日本村大字雄町ニ生レ慶應二年八月二日七十八歳ヲ以テ逝ク資性温良父祖ノ業ヲ承テ耕耘ニ従ヒ孜々トシテ倦ム所ヲ知ラス夙ニ稲作ノ増収ハ種子ノ良否ニ俟ツヘキヲ念ヒシカ偶安政六年秋伯耆大山ニ詣ルノ途次路傍ノ田圃ニ良穂ヲ認メ之ヲ移植シテ鋭意改良ニ努メ苦心惨憺漸新種雄町種ヲ見ルニ至ル米質優良粒形大ニシテ味亦優レ殊ニ酒造米トシテ最愛用セラレ其聲價全國ニ普シ文化未開ケス人智幼キ時一小農ノ身ヲ以テ無援自彊克ク此難事ヲ完遂シ百世ノ下尚世人ヲシテ景仰措ク能ハサラシムルモノ眞ニ偉ナリト謂フヘシ昭和五年十一月畏クモ
今上陛下本縣行幸ノ御砌精選米ノ
天覧ヲ賜ヒタルハ無上ノ光榮ト言フヘシ茲ニ有志者相謀リ碑ヲ建テ其遺徳ヲ頌ス
雄町に生まれた岸本甚造翁は、安政六年(1859)の秋、伯耆大山に詣でた折、道端の田んぼに生える稲穂にピンときた。翁はこれを持ち帰り、改良に努めて酒造好適米を生み出した。「雄町米」の誕生である。偶然に発見したように思えるが、日頃から研究熱心だった翁の慧眼の賜物である。
この雄町米は戦前に全盛期を迎え、戦後は振るわなくなってしまった。しかし近年、徐々に栽培が復活し、今では岡山県を代表する酒米として知られている。「雄町」で醸造すると濃醇な味わいになる。嘉美心で試飲した上記純米吟醸もそうだった。
各地の蔵元が酒米の元祖と呼ばれる「雄町」で作品を醸している。その逸品を味わうオマチストは、酒米文化の保護に日々貢献していると言えよう。もちろん、手のかかる「雄町」を栽培する農家のみなさんにも敬意を表したい。嘉美心でいただいた「雄町」のおむすびが美味かったことも申し添えておこう。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。