世界に開かれた神戸港で大変なことが起きている。刺されるとやけどのような激痛が走り、ひどい場合には死に至るという強毒性の「ヒアリ」が日本に初上陸したというのだ。先月20日に陸揚げされた中国からのコンテナに入っていたらしい。今のところ女王アリや卵は確認されていないとのこと。ヒアリとさせられる出来事だった。
今回は招かざる客の闖入だったが、我が国の貿易、文化交流そして外交において重要な役割を果たした港で、今も「国際戦略港湾」という最上位ランクに位置している。そんな神戸港のはじまりについて、ワンカップ酒から考察したのが本稿である。
2018年1月1日は「神戸開港150年」の記念日である。それを祝して神戸市はカモメが飛翔するロゴマークを作成して、さまざまなキャンペーンを行っている。写真は大関「上撰 ワンカップ 神戸港150周年ラベル180ml瓶詰」である。ポートタワーに神戸海洋博物館の独特の外観、錨山の電飾など、神戸のランドマークが描かれている。海面に景色が映り込むなど細部まで丁寧だ。
中でも山中の錨マークは、明治36年4月10日の観艦式に臨まれる明治天皇を奉迎するために、市内の小学生が一人ずつ国旗を作り、縦横六十間の大錨形につなぎとめたものを設置したことに始まる。また「神戸ポートタワー」は昭和38年築で、我が国初の鋼管パイプフレーム構造ということから、国の登録有形文化財(建造物)に指定されている。
新しいようで古い時代とつながっているのが神戸の魅力である。その開港の歴史を語るには、激動の幕末までさかのぼらねばならない。時は安政五年(1858)、有名な日米修好通商条約の第三条に、次のような規定が設けられた。英仏その他列強との条約も同様である。
下田箱館の港の外、次にいふ所、場所を左の期限より開くべし
神奈川 午三月より凡十五ヶ月の後より
西洋紀元千八百五十九年七月四日
長崎 同断
新潟 同断
兵庫 同断凡五十六ケ月の後より
千八百六十三年一月一日
ところが、物価狂乱と外国人排斥の高まりにより、予定通りの開港ができない状況になった。そこで文久二年(1862)、外国奉行・竹内保徳を正使とする文久遣欧使節団が、開港の延期を交渉し、イギリスとロンドン覚書を結んだ。この覚書では次のような取決めがなされ、他の列強も順次これに倣うこととなる。
千八百五十八年第八月二十六日大不列顚と日本と取締たる條約の第三箇條中の事を施行するを千八百六十三年第一月一日より算し五年の間延す事を承諾せんと預定せり。
幕府の交渉は成功したとはいえ、最も肝心の条約勅許を得ることができていない状況が続いていた。待ちきれなくなった列強は慶応元年(1865)、艦隊を兵庫沖に派遣し圧力をかけ、勅許の獲得に成功する。ただし朝廷は、兵庫開港については勅許を留保したままであった。
こうした状況で将軍職に就いたのが徳川慶喜である。彼は国際社会と協調しながら我が国の近代化を進めようとしていた。兵庫開港の勅許については、二度にわたって理を尽くした意見文を提出したが、薩摩藩の妨害などにより却下されていた。
そこで今度は慶喜自身が参内し、長州藩に対する寛大な処分とセットにして勅許を求め、ついにこれを得たのである。時に慶応三年(1867)5月24日、開港予定日の半年前のことであった。
そして、いよいよ開港の日を迎える。その様子は、郷土史家の岡久彀三郎の著した『神戸市史概説 神戸物語』に、次のように描かれている。
十二月七日は一八六八年の元旦である。既に数日前より神戸沖に集結した英国艦隊は、ケプレル提督座乗の旗艦ロドネイ号外十一隻、米国艦隊は提督べル少将座乗のハーフォート号外五隻、其他に外国汽船、日本汽船、帆船在泊し、朝日の昇ると共に外国艦船の主檣には日章旗が揚げられ、正午を合図として、二十一発の皇礼砲は殷々として六甲にこだまし、陸上にては各領事館には国旗が掲げられ、運上所に於ては柴田日向守以下の吏僚が、各国公使と儀礼を交換し、彼等が開港を祝せば是は新春を寿ぎ、和気藹々の間に目出度開港式は挙行せられ、兵庫神戸の人々は和洋折衷の運上所の窓哨子に日光の反射するを見て、ピードロの家と称し、老幼相率ゐてエージャナイカを歌ひ踊つたといふ。此くして神戸港は世界の港としての第一歩を踏み出したのであつた。
平和のうちに神戸は開港された。2018年は神戸開港150年であり、明治維新150年でもある。神戸開港は明治新政府のおかげなのか。否。先述したように、神戸開港に尽力したのは最後の将軍、徳川慶喜公なのである。開港式に出席したのは、兵庫奉行の旗本・柴田剛中(しばたたけなか)であった。
ただし、10月14日に大政奉還が行われ、幕府は終焉を迎えようとしていた。そして、神戸開港の翌々日である12月9日に王政復古の大号令が発せられ、明治新政府が発足する。つまり、神戸開港は江戸幕府最後の偉業であり、明治維新150年の範疇に入る出来事ではない。
最近、明治維新の意義の再検討が進んでいる。旧態依然の幕府と進取開明の明治政府という理解でよいのか、という問題提起である。神戸開港150年は、江戸幕府の外交努力を再評価する格好の機会と言えるだろう。
関心を持っていただきまして、ありがとうございます。
おそらく、百五十年前に開港した事実をお祝いしているのでしょう。経済の活性化に何周年記念というのはよく使われますよね。
投稿情報: 玉山 | 2018/05/19 06:53
外国の軍艦に脅されて開港したことがそんなに誇ることなのでしょうか?
投稿情報: 通りすがり | 2018/04/07 09:49