カミナリは怖いものの代表格として知られているが、稲の生育に役立っているという。植物が大きくなるのに「窒素リン酸カリ(N-P-K)」は欠かせない。このうち、空気中の窒素は、雷の放電によって窒素酸化物となり、雨水に溶けて肥料となる。
代表的な化学肥料に「硫安」がある。「安」はアンモニアで窒素を含む。「硫」は硫酸で硫黄を含む。では、硫黄はどのように入手するか。現在は石油の脱硫で生産されるが、かつては地中の硫化鉱物から得られていた。
岡山県久米郡美咲町吉ヶ原(きちがはら)に「旧片上鉄道吉ヶ原駅駅舎」があり、国の登録有形文化財に指定されている。
片上鉄道は同和鉱業が経営していた私鉄で、柵原(やなはら)鉱山の鉱石を運ぶ目的で敷設された。この鉱山は硫化鉄鉱の採掘で「東洋一」(日本大百科全書)の規模を誇っていた。
これは柵原鉱山産の「黄鉄鉱」と呼ばれる硫化鉄鉱である。化学式はFeS2、鉄と硫黄から成る。その美しさから「愚者の黄金」とも呼ばれているそうだ。
柵原鉱山は昭和30年代が最盛期で、我が国の高度経済成長を支えた。同じころ全国で公害が問題化し、その対策として石油の脱硫技術が発達した。このため、硫黄は硫化鉄鉱からではなく、脱硫装置から生産されるされることとなった。
黄鉄鉱を運んでいた「トラ814」である。「ト」は無蓋(むがい)車で、鉱石など雨に濡れてもよいものを運ぶ貨車をいう。平成三年に柵原鉱山が閉山となると、同和鉱業片上鉄道も廃止された。
柵原の銘菓「石の華」は、今の季節なら冷やして食べる。餡の中に求肥が入って贅沢だ。どのような由来があるのか。しおりを読んでみよう。
慶長年間(一五九六~一六一四)、津山城築城のために石集めをしていた同藩の藩士が柵原の山頂で褐鉄鋼を発見したのが柵原の石との結びつきのはじまり。固い石ということで、柵原の焼石ともよばれていました。
作州柵原 積み出す石は 米のなる木の根を肥やす
とうたわれた鉱石にちなんで創製したのがこの御菓子です。
褐鉄鉱の表記はこちらが正しい。おそらく硫化鉄鉱の風化によってできたものだろう。津山藩士が発見したものの、本格的な開発は近代になってからである。硫化鉄鉱の硫黄から肥料となる硫安が製造された。特に戦後の食糧増産では、硫安は肥料のエースだった。「米のなる木の根を肥やす」というのは、このことを謡っているのだ。
硫黄は字面のとおり黄色で、何かしら毒のようである。しかし、食品にも含まれているというから驚きだ。ニンニクとかニラとか匂いの強いものに多いらしい。そういえば、中学校の実験で硫化水素を発生させ、「くせーくせー」と騒いでいたのを思い出す。卵の腐った臭いと言うが、腐った卵をにおったことがないので本当は分からない。
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