「世界は神が造りたもうたが、オランダはオランダ人が造った」とオランダ人は自負するそうだ。干拓によって海を陸地に変え、国土を拡大してきた。その優れた土木技術は、オランダのみならず我が国でも役立っている。
岡山の小学生は児島湾の干拓について学習するが、干拓事業を行った実業家藤田伝三郎とともに、ひとりのオランダ人の名を知る。干拓計画を立案した技師ムルデルである。
旭川最下流の左岸に「ケレップ水制」がある。写真は岡山市中区桜橋一丁目地先に当たる。この辺りから河口にかけて、19基の水制が築かれている。
きれいなT字形をしており、干潮時にしか現れないので干満の目安にもなる。聞いただけでは彗星かと思うが、漢字を見ると意味が分かる。水の流れを制御する土木構造物である。このケレップ水制を提案したのがオランダ人技師ムルデルだ。岡山県教育委員会『岡山県の近代化遺産』では、次のように紹介されている。
ムルデルは明治22(1889)年10月10日付で、内務省土木局長に提出した『児島湾開墾工事説明書』で、旭川の河道問題にふれて、水路を一途に定着するためには屈曲の部分にケレップ水制を設置するよう述べている。
当時の旭川は上流からの土砂の流入で浅くなり、大型船の航行が困難で洪水の危険性も懸念されていた。そこでムルデルは水制を設け、川幅を狭めることで流速を増し、土砂のスムーズな流下をねらったのである。
現在の水制が築かれたのは、昭和8年から14年にかけてのこと。同9年には室戸台風で旭川は決壊した。河川改修は喫緊の課題であった。戦後になって上流にダムができ、洪水による土砂流入は少なくなった。水深を保つ水制の機能は役割を終えたのかもしれないが、美しい景観を保つ役割は健在である。
各地のケレップ水制のうち、土木学会選奨土木遺産に認定されているのは「木曽川ケレップ水制群」である。だが、市街地にあって市民に親しまれているという点では、“旭川ケレップ水制群”にも十分価値があると言えるだろう。旭川の景観はオランダ人が造った!?
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