酒を錫(すず)でできた酒器でいただくのは、ちょっとした夏の贅沢だった。冷酒の温度が指先から伝わり、銀色の輝きとともに涼感をいっそう増してくれる。
近年、錫地金は、インドネシア、タイ、マレーシアなど東南アジアから輸入されている。しかし、かつて日本には錫産出で知られる鉱山があった。試みに昭和50年代の地図帳を広げてみよう。兵庫県の中央部に、鉱山を表す記号と「明延」の文字、そして「すず」という赤い文字が示されている。
養父市大屋町明延に「明延鉱山」がある。今年4月28日に認定された日本遺産「播但貫く,銀の馬車道 鉱石の道~資源大国日本の記憶をたどる73kmの轍~」の構成文化財の一つである。
写真は、鉱石を神子畑(みこばた)選鉱所に運ぶために敷かれた「明神(めいしん)電車」の保存車両である。人員を運賃1円で輸送したことから「一円電車」として親しまれた。昭和60年に運行が停止され、62年には鉱山も閉山となった。現在は地域振興のため一円電車体験乗車会が定期的に行われている。車両の一部は市文化財に指定されている。
鉱山は大同元年(806)発見との所伝があるものの、実際にはもっと時代は下るだろう。昭和前半の最盛期には、日本一の錫鉱山として知られていた。だが、錫鉱の発見は明治41年(1908)とそれほど古くない。我が国の近代産業を支えた「明延」の名を記したグッズを二つ紹介しよう。
右は錫のインゴットである。Sn99.9%とあるものの、長年自宅で放置しておいたので一部酸化しているようだ。左の酒は山陽盃酒造の純米酒「明延」で、こちらは明延鉱山の坑道内で約1年間放置された、いや熟成させた日本酒である。坑道内は年間を通じて気温12度前後で、ワインセラーのように風味が増すらしい。ラベルに何か書いてあるので読んでみよう。
兵庫県養父市宮垣地区の蛇紋岩米を使用し、一年以上明延鉱山内で熟成させた味わいのある純米酒です。
熟成によって生まれるコクをお楽しみください。
蛇紋岩米については、本ブログ記事「道端の宝石と青春」で少々書いている。この辺りの蛇紋岩土壌がマグネシウムや鉄分を多く含んでいるため、おいしいお米になるのだそうだ。通常販売の蛇紋岩米はコシヒカリだが、純米酒「明延」で使用されているのは兵庫北錦である。
最盛期には4千人を誇った鉱山町も、今は80人ほどとずいぶん過疎化が進行している。だが、明延鉱山の錫はブリキのおもちゃとなって昭和の子供達を楽しませてくれただろうし、一円電車は今も鉄道ファンや家族連れを喜ばせている。そして、坑道跡では酒が熟成してコクが生まれているというではないか。私は呑むことで明延を応援したい。もちろん酒器は錫製だ。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。