先月末、大阪の「百舌鳥・古市古墳群」が、2019年の世界文化遺産登録を目指す国内候補として選ばれた。3年連続4回目の挑戦でつかんだ栄光だ。いっぽう5年連続で苦汁をなめているのが「北海道・北東北の縄文遺跡群」である。有名な環状列石や大規模集落遺跡のほか、縄文時代の特色である貝塚がいくつも構成資産に含まれている。
一般に、縄文文化は東高西低、東日本を中心に栄えたと言われている。だが西日本にも、数は少ないが注目に値する遺跡がある。本日は西日本最大(コトバンク「国指定史跡ガイド」)の貝塚を紹介しよう。
岡山市南区彦崎(ひこさき)に「彦崎(ひこざき)貝塚」がある。国指定の史跡である。
石碑は昭和40年夏に地主の酒造家によって建てられた。戦後間もなくの頃、樽干場を拡幅するための掘削で厚い貝層が見つかったことから、本格的な発掘調査が始まった。酒屋が醸していたのは「栄松」という銘柄の美味い酒だったようだが、今はもうない。
貝殻の堆積は1.7mにも及び、かなり長期間使用されていたことが分かる。縄文海進の始まった前期(約6,000年前)から晩期(約3,000年前)まで続いたようだ。貝類は46種、魚類は26種、動物は19種が確認されている。なかでも熱帯や亜熱帯の河口域に棲息する「トウカイハマギギ」というナマズの仲間の骨が出土したことは、当時の気候を考える貴重な材料だ。
他にも屈葬により埋葬された人骨やドングリの貯蔵穴、縄文時代前期及び後期の標式となる「彦崎式土器」が見つかっているが、特筆すべきは平成17年2月に、縄文前期の地層からイネのプラントオパールが大量に見つかったことだ。常識のウソ研究会『教科書も間違っていた 歴史常識のウソ』(彩図社)では、次のように紹介されている。
約6000年前の遺跡である彦崎貝塚(岡山県)からこのプラントオパールが発掘され、縄文時代の中頃にはすでに稲作が始まっていたという説が浮上した。
稲作が始まっていたのか、たんに稲束が持ち込まれただけなのか、それとも後世のものが混入したか、もっと判断材料が必要だ。稲作の始まりは、我が国の考古学上最大の謎と言って過言ではない。
三内丸山遺跡など北日本の縄文遺跡が世界遺産となって、縄文文化が私たちの想像以上に豊かなことが、もっともっと注目されるようになればいい。そして同じ頃の西日本にも、平和で豊かな暮らしがあったことが見直されるようになるとよい。豊富な出土遺物がそれを教えてくれる。貝塚は時代の語り部なのである。
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