「弘法筆を選ばず」というが、筆のすべりが悪いとか持ちにくいとか、字の下手な原因をついつい自分以外に求めようとする。人間だもの。文字は何のためにあるのか。それは情報を伝達するためである。ならば、相手に伝わりさえすればいんじゃね?と思うのだが、「読めりゃいいってもんじゃねえだろ」と叱る声が聞こえてくる。
玉野市八浜町大崎に「硯井(すずりい)」がある。
注連縄が張られ、神域として大切にされている。近くには硯井天満宮があり、菅原道真公を祀っている。どうやら菅公伝説の一つのようだ。詳しいことを説明板で読んでみよう。
901年(延喜元年)右大臣菅原道真公は、左大臣藤原時平の画策により、太宰権帥に左遷され、海路瀬戸内海の船旅を続けて筑紫に赴く途中、水を求めてこの地に着かれた。今は干拓されて陸地になっているが当時は海であった。干上がった海中の砂の窪みから、水が吹き出している所があった。思わず口に入れてみると不思議なことに海の中にありながら少しも塩分の無いおいしい水であった。その水を汲み上げて硯にうつし、一首の歌を書いて里人に与えた。
「海ならず たたえる水の底までも 清き心を月ぞ照らさん」
後になって、その人が天神様であったことを知った里人は、この水の湧く所に井戸を作り、鳥居を建て、この丘の上に天神社を祀り、長くその徳を慕ったのである。
それ以来、海の中に清水の湧く硯井として有名になり手習いや書初めには、遠方からこの水を汲みにくるようになった。なお、天神社(天満宮)は学問の神様として崇められている。
1997年3月吉日 大崎観光協会
今は、海があったとも思えないような内陸にある。児島湾の大干拓が行われる以前は、井戸の前に浅い海が広がっていた。その昔、井戸の場所も海水に洗われる砂浜だったのだろう。菅公は、そこに水が湧出しているのを見つけたのである。「海底湧水」と呼ばれる現象だ。
この水で墨を磨り、歌を書いて村人に与えたという。その歌は道歌のようにストレートな表現で、あの道真公が詠じたとは思えない。それでもこの天満宮では、菅公にあやかって手習いの上達や学業の成就が祈願されてきた。天神信仰はこれほどまでに篤い。
幸いなことに、このブログは手書きではないので、悪筆を披露せずに済んでいる。だが、文章のセンスだけは隠しようがない。ここは文章博士である菅原道真公にお願いするほかなかろう。