「青の洞窟」といえば、深い青色の高級感あるパッケージを思い出す。日清フーズのパスタソースである。特にジェノベーゼは宝石のように綺麗で美味い。ご存知のように、本物の「青の洞窟」は、イタリア・カプリ島の著名な観光地である。小さな入り口から射す太陽光が石灰岩の海底に反射することで、海面が神秘的な紺碧に輝くのだそうだ。その美しさはローマ皇帝も楽しんだという。
そんな波による浸食で洞窟になった場所を「海蝕洞(かいしょくどう)」と呼ぶ。青の洞窟は遠くて行けないので、日本神話に登場する有名な海蝕洞に行ってみた。
松江市島根町加賀(かか)に「加賀の潜戸(くけど)」がある。国の名勝及び天然記念物に指定されている。
上の写真は「旧潜戸」で、遊覧船の船着場からトンネルを通ると、時が止まったかのような風景が広がっている。一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のためで知られる賽の河原があり、この異空間を地蔵菩薩が見守る。
さらに岬のほうへ進むと「新潜戸」がある。
こちらは海蝕洞が向こうへ貫通して「海蝕洞門」になっている。よく見ると、穴の向こうにもう一つの海蝕洞門がある。的島である。この不思議な景色は、大昔の人々のイマジネーションを刺激したようで、『出雲国風土記』の「島根郡」条には、次のように記されている。
加賀の郷。郡家の北西二十四里一百六十歩なり。佐太(さだ)の大神のいませる所なり。御祖(みおや)神魂(かむむすび)の命(みこと)の御子(みこ)、支佐加地売(きさかぢめ)の命、「闇(くら)き岩屋なるかも」と詔りたまひて、金弓(かなゆみ)もちて射給ひし時に、光(て)りかが明(や)けり。かれ、加加(かか)といふ。
加賀郷は郡家の北西約13kmにある。佐太大神がお生まれになったところである。親はカミムスビの子キサガイヒメである。「ほんとに暗い岩屋ね」と言って金の弓矢で射抜くと、洞窟は光輝いた。それゆえ、この地を「かか」という。
輝いたから「かか」となったという地名説話である。「てりかがやけり」とは、朝日が洞窟に射し込む様子を表したものと考えられている。神秘的な光景に、昔の人は神の姿を見たのであろう。『風土記』を読み進めると、もっと詳しく面白い話が記されていた。
加賀の神埼、すなはち窟(いはや)あり。高さ一十丈許(ばかり)、周(めぐ)り五百二歩許なり。東西北は通れり。
いはゆる佐太の大神の産生(あ)れませる処なり。産生れまさむとせし時に、弓箭(ゆみや)亡(う)せましき。その時、御祖(みおや)神魂(かむむすび)の命の御子、枳佐加地売(きさかぢめ)の命、願(ね)ぎたまひしく、「吾が御子、ますら神の御子にまさば、亡せたる弓箭出で来(こ)」と願ぎましき。その時、角(つの)の弓箭、水のまにまに流れ出でけり。その時、これを取りて子(みこ)に詔りたまひしく、「こは非(あら)ぬ弓箭なり」と詔りたまひて、擲(な)げ廃(う)て給ひき。また金の弓箭流れ出で来つ。すなはち、待ち取りまして、「闇鬱(くら)き窟(いはや)なるかも」と詔りたまひて、射通しましき。すなはち御祖(みおや)支佐加地売(きさかぢめ)の命の社、ここにいます。今の人この窟の辺を行く時、必ず声磅礚(とどろか)して行く。もし密(ひそか)に行かば、神現はれて飃風(つむじ)起こり、行く船は必ず覆(くつがえ)る。
加賀の神埼に洞窟がある。高さ30mほど、周囲900mほどである。東西北は通ることができる。
いわゆる佐太大神がお生まれになったところである。カミムスビの子キサガイヒメはご出産された時、弓矢を無くしてしまった。キサガイヒメは「私の子は雄々しく武勇にすぐれた神の子なのだから、無くした弓矢よ、お願いだから出てきて」と祈った。その時、角でできた弓矢が水に流れてきた。弓矢を拾ったものの、わが子に「これは違う弓矢ね」と言うと、投げ捨ててしまった。しばらくすると金でできた弓矢が流れてきた。これを拾い上げ「ほんとに暗い岩屋ね」と言って、岩屋を射抜いて穴を開けた。だから佐太大神の母キサガイヒメの社がここにある。現在の人も、この岩屋のあたりを通る時、必ず大声を張り上げて神に挨拶する。もし黙って通ると、神が現れてつむじ風が起こり、船は必ず転覆する。
「あなたがなくしたのは、角の弓矢?それとも金の弓矢?」イソップ童話の金の斧銀の斧を思い出す。岩屋を射抜くとは、まさに神業。畏敬の念を込めて人々は、大声を出して挨拶をしたという。
私たちの遊覧船「なぎさ号」は、いよいよ洞門へと入っていく。こんなちょっとした冒険を同じように楽しんだ著名人に小泉八雲がいる。八雲は『知られぬ日本の面影』「子供の精霊の―潜戸」で、次のように絶賛している。
これよりも優れて立派な海の洞窟は、想像に描くことも殆ど出来ないだらう。海が高い岬の内部へトンネルを貫いて、また偉大な建築家の手腕を見せて、その堂々たる作品に肋材を施し、稜縁を附け、磨きをかけてゐる。入口の弓形門は慥かに海拔二丈、幅一丈五尺もある。数へきれぬほどの波の舌が、円天井と側壁を舐めて、非常な滑らかさにしている。
これに続いて、八雲は興味深い記録を残している。
進行中、突然船頭の女が舟底から石を一つ取って、強く船首を叩きだすと、洞声の反響が窟中に雷鳴の如き振動を繰返した。
どうやらこれは魔除けの意味があるようだが、洞窟という異空間には、人智を超えた何かがあると信じられていたのだろう。私たちの遊覧船は大声を張り上げたり、ガンガン音を出したりすることはなかったが、船頭さんの名調子と分かりやすい説明で、非日常的な時間をしっかり堪能できたのであった。
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