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先日、世界有数のラドンを含むという関金温泉に行ってきた。肌がツルツルして気持ちよい。泉質としては単純放射能泉で低張性弱アルカリ性温泉である。聞けば、今年開湯1300年を迎えたという。養老年間(717~724)に鶴が入浴しているのを行基が発見したことに始まるとされる。
1300年祭として記憶に残るのは、2010年の平城遷都1300年記念事業だ。2013年は美作国建国1300年で、来年2018年は大山開山1300年、西国三十三所草創1300年に当たる。今年2017年は養老改元1300年であり、白山開山1300年なのである。
郡上市白鳥町石徹白(いとしろ)に「旧道桧(ひのき)峠」と刻まれた石碑がある。
標柱には「旧道 白山信仰登拝歴史街道」とある。ここは、霊峰白山を崇敬する人々が登った峠である。ここから白山までは、あとどのくらいあるのだろうか。少し見晴らしの良い場所に出てみよう。
写真は5月の連休に撮影したものだが、白山はその名のとおり残雪で白い。「山高きが故に貴からず」と言われるが、高いからこそ特別なものを感じる。そして「雪有るを以て貴しと為す」なのである。峠に戻って説明板を読んでみよう。
峠の頂から美濃・飛騨・越前が一望できることから昔は三国峠(さんごくとうげ)とも呼ばれていた。桧峠と呼ばれるようになったのはいつ頃かは定かではないが、地元の人の話しではこの峠のあたりは杉よりも桧が育つのに適しているらしいので峠名の由来となっている。
白山への道を開いたとされる泰澄大師が尾根伝いに白山に登ろうとしたがそれはかなわず、前谷へ下り桧峠を越して石徹白から白山を目指したと伝えられている。
泰澄大師(たいちょうだいし)は、越前の人で養老元年(717)に白山を開山した。それからちょうど1300年の今年は、関係地でイベントが開かれている。白山に登る道を禅定道(ぜんじょうどう)といい、加賀、越前、美濃の3ルートある。禅定道の起点を馬場(ばんば)といい、美濃馬場は郡上市白鳥町長滝にある長滝白山神社と長瀧寺である。神仏分離前は白山中宮長瀧寺といった。
長瀧寺を出発し北へ進み、前谷の集落を抜けてそのまま進めば県道314号だが、途中左手に旧道入口がある。この旧道を登って最初の峠が桧峠である。このあたりから向こうは石徹白という地名で、かつては越前国であり昭和33年までは福井県に属していた。説明板の言うように、桧峠から飛騨が見えるのかは確かめてないが、美濃と越前の国境だったことは確かだ。
岐阜方面から白山を目指す人は、今も石徹白を拠点に登山を始める。泰澄大師と同じルートである。いきなり尾根の縦走を始めるより、石徹白経由が順当だ。大師が本当に石徹白を通過したのか、大師を通ったと石徹白の人々が宣伝したのか、どちらかもしくは両方だろう。かつては「上り千人、下り千人、麓千人」と謳われるほどの賑わいだったという。
石徹白は越前国ながら郡上藩に属していた。しかも禅定道で美濃との結びつきが強かった。昭和大合併の際に、福井県大野郡石徹白村は岐阜県郡上郡白鳥町の一部となった。数少ない越県合併の一つである。こうして桧峠はすっかり岐阜県になってしまったのである。
白山を信仰する白山神社は、全国に2700社以上あるという。白山火山帯は白山を東縁に九州にまで伸びる。マグマの脈のように白山信仰は広がっていった。今年は白山開山1300年!総選挙が終わり政権基盤が安定したとはいえ、一寸先は闇を実感する昨今、白山に手を合わせる意味は大きいのではないか。
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