マンガで地域おこしをするのが流行っている。川崎市藤子・F・不二雄ミュージアムは別格のすごさだが、鳥取県境港市の『ゲゲゲの鬼太郎』、同県北栄町の『名探偵コナン』などは地域のシンボル的な存在だ。ゆるキャラとは異なり、引き締まっている。
隣の岡山県の美作地域でマンガといえば『NARUTO疾風伝』である。岡山と津山を結ぶJR線にNARUTOのラッピング列車が3日から運行されている。なぜ4月3日なのか。それには理由があった。
津山市総社の国府台寺に「美作国府趾」と刻まれた大きな石碑がある。
「総社」「国府」があるということは、地方政治の中心地だった証拠である。美作国の成立について、『津山市史第一巻原始・古代』で勉強しよう。
和銅六年(七一三)四月、備前国六郡を分割して美作国が置かれた。鎌倉時代に成立した『伊呂波字類抄』によると、備前守百済南典と備前介上毛野堅身などの上申によって、実現されたものといわれている。備前国守百済南典は、和銅元年に任官となり、上毛野堅身は文武朝、慶雲四年(七〇七)に従五位下を賜った中央の貴族である。『伊呂波字類抄』では『美作国風土記』の記事を引用して、この年、上毛野堅身が美作の国司に任命されたとある。
この記事の典拠をひもといてみよう。まずは『続日本紀』巻第六、和銅六年に次のような記述がある。(『六国史』巻參、佐伯有義編、朝日新聞社、1940年)
夏四月乙未、…備前ノ國六郡ヲ割(サキ)テ、始メテ美作ノ國ヲ置ク、…
注)備前國六郡、英多、勝田、苫田(貞観五年東西二郡に分つ)久米、大庭、眞嶋郡是なり
備前国の6郡を分割して美作国を置いた。「四月乙未」は4月3日である。つまり、和銅6年(713年)4月3日は美作国の建国記念日なのだ。時を同じくして、丹波国から丹後国、日向国から大隅国がそれぞれ分置されている。
『伊呂波字類抄』にはどのように記述されているのだろう。(角川文庫『風土記』)
〔旧記にいはく、和銅六年甲寅四月、備前守百済南曲・介上毛野堅身等が解に依りて、備前の六郡を割きて、始めて美作の国を置きき。云云。但し、風土記には〕上毛野堅身をもちて、すなわち国の守となす。
和銅六年(713)は癸丑(みずのとうし)であって、甲寅(きのえとら)は同七年に当たる。また、「百済南曲」とあるのは「百済南典」である。『続日本紀』和銅元年(708)3月13日条には「従四位下百済王南典を備前守と為す」、養老五年(721)6月26日条には「従四位上百済王南典を播磨按察使と為す」とあり、堅実に歩む地方官であったようだ。
その百済王南典(くだらのこにきしのなんてん)が備前守として、上毛野堅身(かみつけぬのかたみ)が備前介として美作国の分置を上申し、初代の美作守に堅身(かたみ)が就いた。だから、美作国建国1300年記念事業のキャラクターは「かたみくん」なのである。
試みに「かたみくん」と画像検索してみるがよい。まったくとぼけた雰囲気のゆるキャラが見つかるだろう。見た目はゆるいが、しかし『伊呂波字類抄』という歴史的な国語辞書に依拠する堅いキャラである。歴史が浅く雰囲気だけのゆるキャラとは格が違う。こっちは従五位下を賜った貴族なるぞ。めざせ、ゆるキャラグランプリ!2012年は654位だったようだ。
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