茶道、華道、書道など、さまざまな芸道があるが、近代になって衰退したものに歌道がある。もちろん短歌の愛好家は多いが、和歌を詠む技法や作法の継承を目的としているわけではない。
皇族方のたしなみに「お歌」がある。毎年初めの歌会始で披露されており、若い佳子さまも上手にお詠みになられている。「披講(ひこう)」という歌の読み上げは独特で、ニュースではその模様が必ず紹介される。平安時代以来の伝統は確かに守られているのだ。
『古今和歌集』は、長く和歌の最高峰であると考えられてきた。その鑑賞の奥義を体系的にまとめ、切紙(きりかみ)によって伝授することを「古今伝授」という。
郡上市大和町牧の明建神社境内に「常縁・宗祇連歌の碑」がある。
東常縁(とうのつねより)は美濃の武将にして歌人、二条家の歌学を身に付けていた。宗祇(そうぎ)は中学校教科書にも登場する超有名な連歌師である。古今伝授という歌道はこの二人によって整えられた。その伝授の場所がここである。説明板を読んでみよう。
花盛りところも神の御山かな 常縁
桜に匂ふ峯の榊葉 宗祇
文明三年(一四七一)、連歌師宗祇は東常縁を訪ねて古今伝授を受けた。その後も何度かの遣り取りの末、文明五年四月十八日、すべての伝授が完了した。この連歌は、そのことを妙見宮に報告し喜びを詠み交わしたものとされている。
妙見宮は明建神社のこと。歌碑の建立は江戸末期に計画されたが、事情により明治33年になって完成したようだ。ここは、古今伝授の大成という歌道史の画期をなした重要な場所である。当時の文化は、京都一極集中ではなかった。
神社近くに「東氏館跡庭園」があり、国の名勝に指定されている。
この庭園は古くから知られていたわけでなく、昭和54年の圃場整備工事がきっかけとなり、発掘調査によって発見された。中島を配した優雅な池泉部が特色である。この風景を愛でながら古今伝授が行われたのだろうか。
近代短歌を興した正岡子規は「古今集はくだらぬ集に有之候」とストレートに批評した。おそらく、形式ばかりを重んじ、ありのままが描かれず感激が伝わらない、と言いたかったのだろう。
だが古今伝授には、長い時間をかけて選び抜かれた美がある。我ら日本人が何を大切にしてきたかを考えるうえで、欠かすことができない素材ではないだろうか。
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