インスタ映えをはじめとするSNS映えの流行は、デザインの世界を大きく動かしている。リアルを切り取ることで、非日常が表現できる。誰もがクリエイターになれ、瞬時に情報発信できる。その宣伝効果はテレビCMをしのぐほどで、視聴率ではなく話題量で売行きが決まる時代になった。商品開発担当者は、写り映えも付加価値として考えているという。
先日の毎日新聞が「フルーツ鍋」を出す店を紹介していた。「リンゴとベリーのオージュ風鶏のクリーム煮」は、栄養はもちろんのこと、ラズベリーやブルーベリーの色彩豊かな逸品である。見た目の華やかさならフルーツパフェも負けないが、フルーツ鍋には意外性というインパクトがある。極上のフォトジェニックといえよう。
岐阜県養老郡養老町高林(たかばやし)に「養老天命反転地」がある。テーマパークのようだが、荒川修作とマドリン・ギンズによる巨大な芸術作品である。
平成7年にオープンしたのだが、二十年以上を経た今も古さを感じない。平成の大合併を反映していない岐阜県の地図が唯一、時の流れを物語っている。
開園前年には、同じ荒川&ギンズによる「遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体」が収められた「奈義町現代美術館」が開館していた。作品を見るのではなく、自らが作品に入り込んで体感する。重力が失われたかのような空間のゆがみの中で、自分の存在について自問自答するのだ。
奈義を体感した私は、養老へも行きたいと思いつつ二十年の時が過ぎ、このたびやっと願いを叶えることができた。
上の作品は「養老天命反転地記念館」である。写真はアプリでシンメトリーにしたのではない。私たちの人生は、この記念館のような迷路で、この床のように起伏があり、この天井のように杞憂に満ちあふれている。
これは「死なない為の道」である。道というのは人生であり、八方ふさがりでは生きていけない。ソフトランディングできる次のステップが必要だ。何だコレ?と思いながら歩いているうちに、自らの来し方行く末に思いをはせるようになるから不思議だ。
死なない為の道を進むと「精緻の棟」がある。この写真は水平に撮っているが、建物の前にふつうに立って写した写真を少し左に回転させると、傾きながらも倒れない人を表現できる。
本日は3枚しか紹介していないが、もっと不思議な空間がたくさんある。人生に迷ったとき、心を空っぽにしたいとき、たまには混乱したいとき、それぞれのニーズに応じて楽しむことができる。自然とは対極の人為的空間なのに、大いなるものに包まれているような感覚がする。現代美術の至宝と呼んで差し支えない。
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