知らなかったが、オノマトペはフランス語だそうだ。擬音語や擬態語のことである。例えば「かはづ飛び込む水の音」とくれば、「ちゃぷん」だろう。芭蕉の有名なその句に擬音語は出てこないが、読む者には不思議と音が聞こえてくる。では蕪村ではどうだろうか。
神戸市須磨区西須磨に「蕪村句碑」がある。「泥冠(どろかぶり)」と呼ばれる宮城県の石材で造られているそうだ。
まずは碑に刻まれた句を鑑賞しよう。
須磨の浦にて
春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな
蕪村
人口に膾炙した春の句である。とりわけ「のたりのたり」が印象的だ。そんな音は聞いたことはないのだが、春の穏やかな海を見たことのある人は、そのさまが分かるのである。擬態語によりイメージが膨らむ。蕪村が見たのは、このような海だったろうか。
句碑のある須磨浦公園から見た瀬戸内海である。海を見ているだけで一日が過ぎてしまいそうだ。ところが、蕪村が見た春の海はここではなく、天橋立のある与謝の海だという説もある。蕪村は、宮津市小川町の見性寺に宝暦年間に3年(1754~57)ほど滞在していた。この時の句なのだろうか。
須磨の句碑に「須磨の浦にて」と刻まれているのには証拠がある。蕪村と同時期の俳人、尾崎康工の著した『俳諧金花伝』安永二年(1773)に、「須磨の浦にて」という詞書(ことばがき)とともに「春の海…」の句が掲載されているのだ。
与謝の海も天橋立が防波堤となって穏やかな表情を見せる。須磨の浦かもしれないし、与謝の海かもしれないし、蕪村の心象風景かもしれない。いずれにしろ、この句のおかげで、暖かい春の日に穏やかな水面を目にすると「のたりのたり」というオノマトペが思い浮かぶようになった。日本語はこのようにして豊かになっていくのである。
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