今年のスーパームーンは今月4日0時47分だった。その時間に見たわけではないが、確かに夜の底が青く照らされ、見上げると眩しいくらいに白い満月があった。
月の美しさに心打たれる経験は、古今すべての人にあるだろう。貴人はその感慨を詩歌に表現してきた。近代になって俳人は「自由」に出会い、五七五という定型から自由になったが、やはり月を詠んだ。本日は孤高の自由律俳人、尾崎放哉の句を紹介する。
神戸市須磨区須磨寺町四丁目の須磨寺境内に「尾崎放哉句碑」がある。
まずは石碑に刻まれている句を読んでみよう。
こんなよい月を一人で見て寝る
「こんなよい」とは、どんなによいのだろうか。「一人で」を入れたのは、なぜだろうか。「寝る」放哉は、どのような気持ちだったのだろうか。鑑賞の視点はいくつもある。放哉の生涯を知って鑑賞すると、さらに味わい深い。
生まれ故郷の鳥取にある句碑を以前に紹介した。終焉の地である小豆島には記念館がある。では、ここ須磨寺とはどのような関係があるのだろうか。この句は俳句集『大空(たいくう)』「須磨寺にて」に収められており、章の扉には次のような説明がある。
大正十三年六月より十四年三月まで、兵庫須磨寺内大師堂の堂守として住み、五月若狭国常高寺に移り、七月、京都に来る。
そう、放哉は須磨寺に住んでいたのだ。お堂から見た「こんなよい月」とは、スーパームーンだったのか。いや、いつもの月であったろう。だが、須磨で見ていることに意味がある。侘び住まいしていた在原行平が見た月もこうだったか。行平には美しい姉妹がそばにいてくれたが、私は独りだ。そうか? 月が私とともに在る。よきかな、よきかな。
「須磨寺にて」の章には、次のような句もある。
醉のさめかけの星が出ている
呑んだ冬の帰り道、抜けるような夜空にいつもオリオン座が見える。私がオリオンを見上げる代わりに、オリオンは私の軌跡も未来も見ているんだろう。そんなことを考えていると、だんだん正気になってきて、寒さが身にこたえてくるのだった。
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