慶應義塾といえば私立大学の最高峰として知られ、先生といえば福澤諭吉先生のことを指す。先生は万円札の肖像となり、全国民があこがれのまなざしを向ける存在となっている。天下無敵の慶應義塾は、いつどこで生まれたのだろうか。
東京都中央区明石町に「慶應義塾発祥の地」の記念碑がある。開いた本がある。何だろうか。
「天は人の上に…」の名句で知られる『学問のすゝめ』であった。我が国の生涯学習における記念碑的著作である。
福澤諭吉先生は、奥平氏の治める豊前中津藩の出身である。大坂の適塾で学んだ後、安政五年(1858)10月中旬に江戸に出府した。そのころの様子を『福翁自伝』で読んでみよう。
扨(さて)私が江戸に参(まいっ)て鉄砲洲の奥平中屋敷に住(すまっ)て居ると云う中(うち)に、藩中の子弟が三人五人づゝ学びに来るやうになり、又他から五六人も来るものが出来たので、其子弟に教授して居たが、前にも云ふ通り大阪の書生は修業する為に江戸に行くのではない、行けば教へに行くのだと云ふ自(おのず)から自負心があつた。
このようにして福澤先生のもとへ学ぶ者が集まってきた。これが慶應義塾の発祥である。「鉄砲洲の奥平中屋敷」があったのが、碑の近く、聖路加国際病院の辺りだという。当初、塾の名称はなかったが、慶応四年(1868)に、その年号から「慶應義塾」と称するようになった。
慶應義塾の成功で「義塾」という名称はブランド化していく。歴史があるのは青森の「東奥義塾」、甲子園で知られる高知の「明徳義塾」、塾は塾でも学習塾の「明光義塾」など、どこか風格のあるイメージを醸し出している。その風格の真骨頂は「慶應義塾幼稚舎」という小学校だそうだが、ハイソサエティに縁遠い私には分からない。
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