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美しい風景を「八景」と呼んで愛でることは、江戸時代にさかんになった。駅名にまでなっている「金沢八景」は歌川広重が浮世絵に残しているし、千葉の「臼井八景」は本ブログ「印旛沼の美しさ」でレポートしている。全国には八景が80以上あるらしい。
敦賀市桜町の市民文化センター前に「芭蕉翁月塚」がある。各地にある翁塚の一つで、昭和57年の建立である。
芭蕉翁の句を鑑賞する前に「八景」の復習をしておこう。晴れた日に立つ霞が美しい「晴嵐(せいらん)」、夕方に鳴らす鐘の音に映える「晩鐘」、夜に降る雨にしんみりする「夜雨」、水面に夕日がキラキラする「夕照」、港に帰る舟が一日の終わりを告げる「帰帆」、秋の夜の月が静かに照らす「秋月」、飛ぶ雁の群れに広がりを感じる「落雁」、一面に積もった雪がほの明るい「暮雪」、以上の八景である。
単に美しい場所というのではなく、夕日や月などが美しく見せているのである。実にそうだ。昼間に見慣れた風景を夕日が朱に染めたり、月が青白く木々を照らし出したりすれば、誰しも心動かされるだろう。
本日紹介している「月塚」では、どのような景色が詠まれているのだろうか。
気比の海
国々の八景更に 気比の月
この句は有名な『おくのほそ道』にはなく、昭和34年に発見されたという。説明の碑文を読んでみよう。
元禄二年八月十四日芭蕉翁は奥の細道の途次名月は敦賀の津でと福井を立った。
その道中及び敦賀滞在中の月の句即ち芭蕉翁月一夜十五句が昭和三十四年大垣市にていわゆる荊口句帳から発見された。その中にこの気比の海の句がありその時はじめて世に出た貴重な一句である。
『荊口(けいこう)句帖』とは、大垣藩士で俳人の宮崎荊口がまとめていたもので、「芭蕉翁月一夜十五句」が収められている。14日夜に名月を堪能した芭蕉が、翌日の雨の晩に詠んだ作品群である。
敦賀は海あり山ありで、八景になりそうな要素に恵まれている。加えて神宮に松原と、旅人の気分を高揚させる観光資源があり、そこを月が照らし出すのである。芭蕉は思った。こりゃあ、各地にある八景も、気比の月にはかなわへんな。
敦賀の風景を絶賛する名句である。だが『おくのほそ道』には見えない。「芭蕉翁月一夜十五句」のうち、採用されたのは「月清し遊行のもてる砂の上」(14日)と「名月や北国日和定なき」(15日)であった。
単に「美しすぎる」月に感嘆するだけでなく、歴史ある神聖な行事を詠み込んで句意に深みを増し、翌日は見えない月を名句に仕立てるというスゴ技を見せてくれた。さすがは名紀行『おくのほそ道』である。「国々の」の句は選に漏れたとはいえ、月景色の美しさを芭蕉が認めたのだから、敦賀にとっては勲章ものだろう。
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