今や物流にドローンが参入するかという時代になってきた。しかし、落っこちないかとか行方不明にならないかなど、まだまだ課題は大きいようだ。現在、自動車と船が主体の国内物流は、ドライバー不足やら燃料費高騰やらで苦労は絶えないが、不動の二強であることは確かだ。
自動車も高速道路もなかった江戸時代、物流の主役は船であった。特に、日本海側の物産を大坂へ運ぶ西廻り航路がさかんで、北前船が今の長距離トラックのように活躍していた。本日は、北前船の寄港地として栄えた敦賀を訪ね、近代史の一端を学ぶこととしよう。
敦賀市桜町に「敦賀港開港100周年記念モニュメント」がある。
高さ8mのステンレス製で、風が爽やかに吹き抜けるような美しさがある。説明板を読んでみよう。
デザイン:風を受けて進む北前船の帆を3連配置し、シンプルでシンボリックに表現しています。
モビール:帆の上にある多層風車からは「風」を感じることができます。
敦賀港の繁栄の基盤が北前船にあることを示し、今後の発展を願っている。船が進むには風が必要だし、港を眺めるにも少々の風があるほうが心地よい。上部の丸い部分にはモビールがあり「風」を感じるしくみがあったらしいが、強風のせいだろうか、取り外されている。
敦賀開港100周年とは1999年のことで、明治32年(1899)に敦賀港が外国貿易を行う開港場に指定されて百年に当っていた。もちろんその頃は北前船の時代ではなく、ロシアのウラジオストクと結ばれ、同40年には横浜、神戸と同格の「第1種重要港湾」となった。
そんな明治38年(1905)、今に残る貴重な煉瓦造建築が完成した。
敦賀市金ヶ崎町に「旧紐育(ニューヨーク)スタンダード石油会社倉庫」の北棟、南棟、煉瓦塀がある。いずれも国の登録有形文化財である。
壁に会社名の痕跡が残っている。スタンダード石油はロックフェラーが創業した超巨大企業であり、昭和15年頃まで使っていた。その後は海軍倉庫、昆布を扱うヤマトタカハシの倉庫として使用された。今では敦賀を代表する観光拠点となっており、私はカフェで浜焼さば×タルタルソースのsabaサンドを購入した。
敦賀港の発展に尽力した人物に、大和田荘七という人がいる。俳優の大和田伸也と獏の兄弟とは血縁関係があるらしい。大和田家は北前船交易で栄えた旧家である。
敦賀市相生町に「旧大和田銀行本店本館」がある。昨年、国の重要文化財に指定された。昭和の銀行建築としては全国初だそうだ。
大和田で銀行といえば、ドラマ『半沢直樹』の大和田常務を思い出すが、まったく関係ない。昭和二年(1927)の竣工で、当時としては珍しいエレベーターが設置されていた。現在は市立博物館として、やはり観光の拠点となっており、私は「大谷吉継と西軍の関ヶ原」という特別展を観覧した。
大和田銀行は昭和20年に三和銀行と合併する。建物は三和銀行、福井銀行の支店として使用された。三和銀行は今の三菱東京UFJ銀行(4月から東京がなくなるけど)で、大和田常務の東京中央銀行になんとなく似ている。
物流で発展してきた敦賀に、重要な交通ネットワーク機能が加わる。2023年春に北陸新幹線の金沢-敦賀間が開業するのだ。北前船は各地の産物を運び、地元の銀行はお金を動かして、敦賀の発展に貢献した。さらに今度は、新幹線によって大きく人が動くのだから、しばらくは敦賀から目が離せない。
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