カズオ・イシグロなどの「ノーベル賞」作品にチャレンジして挫折した人も、「本屋大賞」作品なら読破できること間違いなしだろう。テンポのよいストーリーに、思わずページをめくってしまう。平成26年度の受賞作は和田竜『村上海賊の娘』だった。その舞台を求めて、今治市宮窪町宮窪の村上水軍博物館を訪ねた。
単行本のカバーになった印象的なイラストが石の彫刻となって、現代美術のような異空間を創出している。こんな場面も確かにあっただろう、と思わせるリアリティもある。原画は腕利きのイラストレーター平沢下戸、制作は大島石に命を吹き込む石彫家池田英貴である。
今治市宮窪町宮窪に「能島城跡」がある。国指定の史跡である。
能島とその背後にある鵜島が重なって見えにくい。能島の南には鯛崎島がある。二つの島は橋で結ばれていたらしく、島全体がそのまま城郭という珍しい海城である。この海域は潮流が速く、容易に城に近付くことができない。小さな島ながら要害であり、続日本100名城に選定されている。
博物館前には村上武吉と子の元吉、景親兄弟の像がある。村上水軍の最盛期は武吉の時代だった。領土の拡張を主眼としていた戦国時代において、瀬戸内海は一種のアジールであり、中国の毛利氏、九州の大友氏、四国の河野氏、三次氏ら大勢力のはざまで、戦いの趨勢を左右する位置にいた。
村上水軍は権力行使を、次のような文書で正当化していたという。国重要文化財「能島村上家文書」のうち「後奈良天皇口宣案」山口県文書館「文書館ニュースNo.50」より
口宣案
上卿勧修寺大納言
天文十八年八月廿八日 宣旨
掃部頭武吉
宣任 海内将軍大和守
蔵人頭右大弁 藤原充房 奉
海の王者の風格を感じさせる「海内将軍」に任じられたというが、そのような官職は聞いたことがない。この文書には興味深いことに、後世の補足も残されている。
伝記
吾祖、航海スルトキハ必綸旨ヲ携シテ光威ヲ示ス。異事アルトキハ披露シテ妨ヲ禦グ。依テ紙上摺禿多シト云
どうやら本当は偽文書だったようだが、「海内将軍」だと思わせる権威が村上水軍にはそなわっていたのだろう。数々の活躍のうち、石山合戦の第一次木津川口海戦は『村上海賊の娘』の舞台となっている。毛利方から石山本願寺への兵糧搬入を成功させたことから、戦国最強の水軍というイメージが形成された。
ただし、秀吉の時代に兵農分離の海上版である「海賊停止令」が出されてからは独自性が保てなくなり、毛利家臣団に組み込まれていくこととなる。村上元吉は慶長五年(1600)、関ヶ原の関連戦で討死した。父の武吉は慶長九年(1604)、弟の景親は同十五年(1610)に没した。
『村上海賊の娘』の主人公である景(きょう)は村上武吉の娘だが、まったくの架空の人物ではなく、『萩藩譜録』という史料に実の娘がいたことが記録されているそうだ。景の活躍そのものは創作かもしれないが、そんな想像力も歴史の理解に欠かすことはできない。小説と史実は意外に紙一重なのかもしれない。
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