「瞑想していたんだ」と、居眠りじゃないことを強弁するが通用しない。居眠りはところかまわずしてしまうが、瞑想は明るすぎても暗すぎてもいけないそうだ。暗ければ要らぬことを考え、明るすぎては気が散ってしまう。
本日は、瞑想法など真言密教の奥義を、弘法大師空海から直伝された高僧を紹介しよう。
河内長野市寺元の観心寺境内に「真言二祖 道興大師御廟」がある。
「道興大師」と言われても、正直よく分からない。「真言二祖」ということは、真言宗を始めた空海の後継者ということか。空海には十大弟子がいると言われるが、道興大師の諡号を賜ったのは、実恵(実慧、じちえ、じつえ)である。この諡号は安永三年(1774)に後桃園天皇から贈られた。
現在日本一の高さを誇る五重塔で有名な東寺(教王護国寺)は、嵯峨天皇から空海に与えられ、以来、真言宗の総本山として篤く信仰されてきた。東寺の最高位は「東寺長者」と呼ばれ、その歴代が『東寺長者補任』(『群書類従』巻第五十八所収)にまとめられている。その一部を抜粋しよう。
(承和)同二年乙卯
長者大僧都空海。
正月八日。於宮中真言院被始行後七日御修法。依重宣下止勘解由司庁号内道場真言院。三月廿一日丙寅。寅尅。於金剛峯寺御入定。年六十二。臈四十一。
同三年丙辰
長者権律師実恵。
五月十日。任権律師。補長者。年五十一。
同四年丁巳
長者権律師実恵。
同五年戊午
長者権律師実恵。
同六年己未
長者権律師実恵。
同七年庚申
長者権律師実恵。
九月廿八日。転任少僧都。年五十五。
同八年辛酉
長者少僧都実恵。
権律師真済。
十一月九日。任権律師并長者。四十三。元内供。二長者初也。
同九年壬戌
長者少僧都実恵。
権律師真済。
同十年癸亥
長者少僧都実恵。
権律師真済。
同十一年甲子
長者少僧都実恵。
権律師真済。
同十二年乙丑
長者少僧都実恵。
権律師真済。
同十三年丙寅
長者少僧都実恵。
権律師真済。
同十四年丁卯
十五年六月十三日改元。
長者少僧都実恵。
十二月十二日入滅。年六十二。寺務十二年。号檜尾僧都。法禅寺是也。
権律師真済。
四月二十三日転正律師。十一月至一長者。年四十八。
権律師真紹。
四月二十三日任権律師。十一月補二長者。年四十二。
まさに人事異動表で、年功序列により出世しているように見えるが、実際は有徳の高僧から選任されたことだろう。実恵が「真言二祖」と呼ばれたのは、空海に続いて「東寺長者」に就任したからであった。
実恵は「檜尾(ひのお)僧都」とも呼ばれる。ここ観心寺の山号も檜尾山(ひのおさん)である。だから法禅寺は観心寺の場所にあったとも考えられるが、詳細は不明のようだ。
いま観心寺は、金剛峯寺を総本山とする高野山真言宗に属している。金剛峯寺における空海の後継者は真然(伝燈国師)である。では、実恵と真然、どちらが実質的な後継者なのか。
年齢の詳細は不明ながら、実恵のほうが20歳くらいは年上のようだから、空海の入滅後に教団を差配したのは実恵であったろう。まさに「真言二祖」にふさわしい人物である。
調べが終わったので、瞑想を試みることとしよう。目は開けるのでもなく閉じるのでもない。鼻柱の先を見るようにするとよいそうだ。アビラウンケン、アビラウンケン…ZZZ。
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