巨人といえばプロ野球かと思いきや、子どもたちはアニメ『進撃の巨人』を思い浮かべるらしい。始祖の巨人、車力の巨人、鎧の巨人、獣の巨人など、たくさんの巨人が登場するが、「知の巨人」は出てこない。
以前「知の巨人」として南方熊楠を紹介したことがある。現代にあって「知の巨人」と評されるのは元外交官の佐藤優氏だ。本日再び紹介する岸田吟香も巨人の一人である。三人に共通するのは容貌魁偉。姿かたちから行動、頭脳までスケール感が違う。
岡山県久米郡美咲町栃原に「岸田吟香翁像」と「岸田吟香先生記念碑」が建てられ、一帯は「吟香苑」として整備されている。
ここ栃原は先生の生まれ故郷で、記念碑は昭和26年の建立である。碑銘は気骨のジャーナリスト馬場恒吾で、新聞界の大先輩に敬意を表しての揮毫だろう。胸像は平成8年に建てられた。
碑の裏面には先生の事績が分かりやすく紹介されているが、以前に東京にある「岸田吟香翁碑」をレポートした際に詳しく書いたので、ここでは繰り返さない。
今回は故郷の人々が先生をどのように見ているかを紹介しよう。平成元年発行の旭町教育委員会『岸田吟香伝』は、次のような文章で締めくくられている。
郷土旭町の深い山間の谷から、この型破りの大偉人が生まれたことをしのんで、大いに誇りとするとともに、遠くの地にあって、大偉業をしながら、いつも父母を思い郷土を忘れなかった吟香翁をもっともっと顕彰してもいいのではないでしょうか。
もし、吟香が現代に生きて郷土について語れば、間違った現代の都市志向から脱却して、過疎地に新天地を求めて努力すれば、過疎地こそ二十一世紀の世界だと云っているかも知れません。
吟香翁こそ明治が生んだ無冠の帝王であり巨人岸田吟香であったのです。
旭町は平成17年の平成の大合併で美咲町となり、吟香翁も現在は美咲町の偉人となっている。翁が広めたという「たまごかけごはん」は今や、町で一押しの観光資源で、食堂「かめっち」は遠来の客でにぎわっている。
「たまごかけごはん」こそ、吟香翁が郷土に残した最大の贈り物であった。美咲町産の食材でつくられているので地元農家も喜んでいる。どうやら、最大多数の最大“黄福”はこの町で実現しているようだ。
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