「府中」という地名は各地にあり、例えば公共交通機関で「府中」がつく駅は全国に7つある。いずれも国府があったことを示唆している。「府中市」という地方自治体は東京都にもあるが、広島県にもある。今日は広島県府中市のアイデンティティについて考えてみよう。
府中市元町の金龍寺のあたりは「伝吉田寺跡」であり、県の史跡に指定されている。本堂前に塔心礎と伝えられる石が置かれている。
吉田寺は法起寺式の伽藍配置と考えられているが、塔の位置は、現在心礎が置かれている場所とは異なるようだ。地元の元町史考会による金龍寺の説明板には、次のように記されている。
金龍寺の全面一帯は寺蹟と伝える白鳳期の廃寺で伝吉田寺として県指定の史跡である。明治年間に発見された塔中心礎石と昭和十七年発見の優美な古瓦は共に飛鳥白鳳期のもので市指定文化財である。此の寺は一説には栗柄の廃寺と共に備後の国分寺ともいわれている。
備後国分寺跡は福山市神辺町下御領にあるが、伝吉田寺や栗柄廃寺が国分寺と国分尼寺と考えられたのは、ここが「府中」、つまり国府が存在していたからだろう。
金龍寺の近くに国指定史跡「備後国府跡(金龍寺東地区)」がある。
単なる空き地だが、のぼりと朱に彩られた説明板が、国府を偲ぶよすがとなっている。ここにあった建造物の性格について、説明板には次のように記されている。
組物を必要とする格式の高い建物で、平安時代初め頃に建てられ、近くに庭園の池も造られました。政治的な宴会(饗宴)などを行う施設、もしくは国府の宗教施設であったと考えられています。
伝吉田寺は、奈良時代以降には国府の宗教的機能を担っていたと考えられている寺院で、金龍寺東地区との関係性の解明が待たれます。
国府の一部ではあるが、中心的な機能を有していたわけではないようだ。
同じ元町に「備後国府跡(ツジ地区)」がある。
市街地なので発掘場所は限られている。
少し南に歩くと同じく「備後国府跡(ツジ地区)」の説明板がある。
ここの説明板に重要なことが記されているので抜粋しておこう。
ツジ地区は奈良時代から平安時代に府中市にあった『備後国府』の重要施設があった場所です。
『国司館(こくしのたち)』(国司の官舎)などの国府関連施設と考えられます。
ツジ地区では「賀友私印」と陽刻された銅印が発見されていることから、国府の中枢「国庁」もこの近くにあると考えられている。むかしも今も、このあたりは地域の中心だったのだ。
府中市最大の夏祭りは、平成25年に「ドレミファフェスティバル」から「備後国府まつり」という名称となった。国府の存在は地域のアイデンティティの形成に寄与している。
名称はいささか復古調だが、イベントは時代行列のように往時を偲ぶ内容ではない。特産のタンスを運ぶタンスリレーとか、泡まみれになって踊る泡祭とか、ずいぶんと盛り上がっているらしい。都から赴任した国司が見たら、きっと泡を吹いて倒れるだろう。
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