酒を我慢しようとすると「飲んじゃえば」と悪魔がささやく。耳元でささやかれるのなら、愛のささやきがよいが、ついぞ聞かない。ならばと、一人でささやくと、つぶやきにしかならない。
「ささやき」を漢字で書くと「囁き」だが、「私語」とも「細語」とも「耳語」とも、また「密語」とも書くようだ。
府中市元町に「密語橋碑」がある。右側面に歌らしき文字が刻まれている。
石碑に「密語橋」と刻まれているから立ち止まったが、ふつうは通り過ぎてしまうだろう。名前だけはいわくありげだ。説明板を読んでみよう。
元町史蹟 密語橋(ささやきのはし)碑
平安中期の歌人 能因法師の歌
熊野なる おとなし河に渡さばや ささやきのはし しのび しのびに
この歌から川を音無川、橋を密語橋と名付られ古くから備後の名所として古書にも書かれ数多くの文学作品を残しています
昭和五十四年六月 元町史考会
ふーん、っていうか、よく分からない。能因法師がこの地で歌を詠んだわけではなく、この地の川と橋の名前が都に知られていたわけでもなさそうだ。法師の歌にちなんで、川と橋に名前を付けたという。なぜ?
江戸中期に福山藩士宮原直倁が著した地誌に『備陽六郡志』があり、郷土史の原典として重宝されている。外篇「芦田郡」の「町村」に、次のような記述がある。(引用元は『備後叢書』第二巻)
私語の橋 当寺より府中の往還に出る道に、巾壹間に長三間ほどの橋有、石碑を立て
熊野なる音なし川に渡さばや、さゝやきのはし忍び/\に。
といへるに喜撰(能因の誤であらう)法師の哥を彫たり。高木村の地に何れの宮の鳥井とも不知、畠の中に有之。古熊野権現の鳥井なりと。件の鳥井、元文の比、大風にて倒れ、其後取立る事もなくて畠の中に有之。当寺の山上に熊野権現の宮有、九月九日是を祭る。昔此辺は大河にて権現の麓の河端より石の鳥井迄百六拾間余の橋有、このはしの真中にて私語て人を売買しけるとかや。鞆にも、さゝやきの橋と云音有なし川の哥にかなひたるハ此はしなり。
ささやきの橋 栄明寺より府中の往還に出る道に、幅が一間、長さは三間ほどの橋がある。石碑を建て「熊野権現の麓を流れる音無川に架けたささやきの橋を渡るなら忍び足だね」という喜撰法師(能因の間違いだろう)の歌を刻んでいる。高木村にどの神社のものか分からないが、畑の中に鳥居がある。古い熊野権現の鳥居だともいう。この鳥居は元文年間に大風で倒れ、その後再建もされず、畑の中に今もある。栄明寺の山上に熊野権現があり、九月九日が祭日である。昔このあたりは大きな川で、権現の麓から石の鳥居まで百六十間余りの橋があった。この橋の真ん中で、ひそひそと人身売買が行われたらしい。鞆の浦にもささやきの橋があるが、音無川の歌に合っているのはこの橋である。
鞆の浦の「ささやき橋」については、「がっくりしないロマンの小橋」でレポートした。元文年間に大風で倒れたという鳥居は、宝暦十年(1760)に再建され、「日吉神社府川石鳥居」として市の文化財に指定されている。
この鳥居は府川町にあり、日吉神社は栄明寺の山上にあるから、「熊野権現の宮」を今の日吉神社に置き換えて考えてみよう。その麓から石鳥居までは、ずいぶんと距離がある。ここを大河が流れ、そこに架かる長大な橋で人身売買が行われていたというから、壮大なスケールの伝説だ。しかし、能因法師が人身売買を歌にするだろうか。
宮原はさらに調べを続け、考えを少し変えたようだ。『備陽六郡志』後得録「芦田郡」の「布(府)川村石の鳥井付私語の橋碑弁」に、次のような記述がある。
又咡の橋、当時石碑を建て能因法師の詠哥を彫付侍り。今現に熊野の権現山上ニましますゆへ、此川の名を音無川と云伝ふ。是又大なるあやまり也。能因法師の哥は此咡の橋を紀州熊野の音無川にかけたらばよからんとの心也。おとなし川に懸たりとゆふ心にはあらず。然ば此川をおとなし川とゆふは、あやまり成べし。
またささやきの橋に関しては、その昔石碑を建立して、能因法師の詠んだ歌を刻んでいる。実際に今、熊野権現が山上にあるので、この川の名を音無川と言い伝えている。これは大きな間違いである。能因法師の歌は「ささやきの橋を紀州熊野の音無川に架けたらよいだろうに」という願望であり、「音無川に架かっている」という事実を詠んだものではない。そうであるならば、この川を音無川と呼ぶのは間違っている。
ということで、福山藩士の宮原氏に否定された密語橋だが、何が真実か分からないのが伝説である。実は「ささやき橋」の伝説は各地にあり、柳田國男「橋の名と伝説」(ちくま文庫版『柳田國男全集』7所収)には、次のように記されている。
この古風な橋の名は、男山八藩の麓に一つ、紀州熊野の参詣路に一つ、備後にも岩代にもおのおの二つの遺跡があって、いずれも大きな御社と関係があるらしい。
「男山八幡の麓に」というのは、石清水八幡宮の東総門の下にある「細橋」のことで、川に架かっていない。「紀州熊野の参詣路に」というのは、田辺市本宮町本宮にある「私語橋」のことで音無川に架かっている。
備後の二つは紹介したとおりで、岩代の二つは福島県にある。一つは郡山市安積町日出山三丁目にある「耳語橋」で、笹原川に架かっている。もう一つは福島市杉妻町の杉妻会館の中庭にある「密語橋」で、川に架かっていない。
悪事をささやいたり、愛をささやいたり、ささやきには何かしら強い感情が込められている。彼岸と此岸をつなぐ橋が、悪事なり恋愛なり、成就の思いを叶えてくれる、と考えられたのだろう。もしかすると私も、アブナイ橋を渡っているのかもしれない。
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