我が国における外国船遭難事件で、もっとも有名なのは「ノルマントン号事件」で、次が「エルトゥールル号事件」だろう。ノルマントン号事件(明治19年)は串本沖で遭難した際、英国人船長が日本人を見殺しにしたことが広く知られている。高まる世論が条約改正の原動力となったと全国の小学生が学習している。
エルトゥールル号事件(明治23年)も串本沖でのことだが、こちらは地元の人々が懸命に救助活動を行い、生存者は本国トルコへ帰還できたという美談である。イラン・イラク戦争の際にトルコ政府が「トルコ人なら誰もがエルトゥールル号遭難の際に受けた恩義を知っている」と日本の救助要請に応えたというエピソードは、来年度から使用される道徳教科書にも採用された。
そして明治25年(1892)、今度はアメリカ船が遭難した。
徳島県海部郡美波町志和岐に「ノースアメリカン号遭難救助の碑」がある。平成4年(1992)に100周年を記念して建てられた。
神戸港からニューヨークへ向かおうとしたノースアメリカン号が遭難したのは、防波堤の向こうに見える岩のあたりだ。詳しいことは碑文に教えてもらおう。
明治二十五年七月二十三日約二百米東方の荒磯にて難破せる米国帆船ノースアメリカン号二十三名の乗組員を志和岐漁民よく一致協力し激浪の中全員を救助せし功によりハリソン米大統領より銀メダルを贈られる。その人間愛と勇敢なる行為は長く後世に伝え漁民の鑑たり。
この時季だから台風に巻き込まれたのだろう。志和岐の浦人は崖上から船のマストにロープを渡すなど懸命に努力したという。こうした救助活動に対し、米国第23代大統領ベンジャミン・ハリソンが銀メダルを贈って感謝したのである。エルトゥールル号と同じくらいの美談である。
救助に当たった浦人の一人、濱本兼太郎に贈られた銀メダルには、次のような意味の銘が記されているという。『三岐田町史』より
千八百九十二年七月廿三日ニ於テ北亜米利加舩ノールス、アメリカン号ノ乗組員ノ危難ヲ自由ナルモノニ助ケシ彼ノ勇気アル行ニ対シ志和岐浦ノ濱本兼太郎ニ迄合衆国ノ大統領ニヨリテ与ヘラルルナリ
米国人を危難から救ってくれたことに感謝し、その勇気ある行動を顕彰している。それだけではない。漁業等に役立ててほしいと350ドルまで贈っている。ハリソン大統領の誠実さが伝わってくるようだ。
いっぽう先月25日、トランプ大統領は国連総会で自画自賛の演説をして、各国首脳の笑いものになった。翌日、大統領はこれをフェイクニュースだと主張し、「彼らは私を笑ったのではなく、私と一緒に笑ったのだ」と意味不明な強弁をしているという。
こんな大統領と同じ船に乗っている安倍ジャパンは、この先どうなるのであろうか。これから交渉に入るという日米物品貿易協定(TAG)で、ヘンな要求を呑まされはしないのか。キャプテン・トランプの船が遭難しないことを祈るのみである。
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